介護

2022年8月24日 (水)

ヨクカンサン

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自宅デー。ほぼ毎日実家で認知機能の衰えた母と接していると、子育てをしなかった分の帳尻を合わせているのかもしれないと思うことがある。そして、長きにわたり仕事最優先で忙しい日々を過ごしながら余白の時間は精力的に遊んでいられたのは、体力と自由になる資金があるからだと思っていたけれど、大前提として仕事意外の時間は全て自分の時間だったという条件がそろっていたからなのだ。

 

デイサービスなど介護保険のお世話になれるのはとてもありがたい。少し前に上野千鶴子氏の「在宅孤独死のすすめ」を読んだ。介護サービスを保険という形にしたことで、罪の意識なく大手を振って家族の世話を他人に任せることができるようになった、と書かれていた。その通りだと思う。おそらく介護についてはそのうち、まとめて書く日がくるはずなので、今日は深入りしないでおくが、介護を通して親の人格を初めて一人の人間として見るようになった気がする。教員として様々な個性をもつ子供に接してきたノウハウが介護にも使えるのだが、家族と他人は違うということも痛感するし、自分の嫌なところもたくさん見えてしまう。

 

母には今できることをなるべく長く続けられる状態で、穏やかに幸せな気持ちで過ごしてほしいと心から思う。

思ってはいるんです。ええ。母が処方された漢方薬の効能を読んでみると「疳の虫」という文字が。これ、私が飲んだ方がいいのかもしれない。夜実家へ。

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2021年9月30日 (木)

タイミングとか運命とか

母の介護申請が通り認定された。地域の包括センターで紹介していただいたケアマネージャーさんに、母の要望を伝えながらデイサービスの事業所をいくつかピックアップ。自分でも実家近所の事業所を挙げて、母とともに4箇所見学に行った。

百聞は一見に如かず、抱いていたイメージとは違って明るい笑い声が響く空間で、活動の目的こそ違うけれど、学童保育や児童館、放課後スクールに保育園っぽい面を加えた運営がされているように感じた。見学をしながら、利用者の方の様子とか、コミュニケーション、職員の方の関わり方などけっこうシビアに見定めてしまう自分がいたけれど、全部見終わったあとで母と話をしたところだいたい同じようなところが気に入ったようだったので、本人の意向でお世話になるところを決めた。

母は、自分の認知機能が衰えていくことを日々自覚しているようで、自信をなくし、自尊感情が下がっている。感情はずっとかわらず残っていると認知症関連のどの本にも書かれている。だからm、子供扱いはしないし、記憶が混乱しているだけで、判断する力はまだ残っているようだ。ただ自信がないから、不安で前に進めない。接し方や励まし方は前職でやっていたことと非常によく似ていると思う。やれることはやらせる。そのかわり待つ。迷っているときは前に進めるように声をかける。このあたりはうまくできるが、イラッとしない、またイラッとしてもそれを表に出さない、というのが家族だと難しいと感じる。まだこれから、です。

退職したのは絶妙のタイミングだったようだ。仕事をしながら介護をしている方はたくさんいるけれど、あのまま仕事をしていたらけっこう大変で自分にはうまくできなかっただろうな、と思う。

自分自身の今後のこととしては、少しは稼がなきゃという思いとは別に、何か社会の役に立てることをしたいと思っている。そんな動きの中でちゃんと自分の業績を生かすことのできる道が開けるような感覚があり、やはりこれが自分にとっていいタイミングだったのだと改めて感じるこの頃。自分を卑下しすぎることなくアピールすることを学んだのも、一人一人の相手としっかりコミュニケーションをとることができるのも、みんなこれまで教員としての経験があったからなんです。そして、島でたった二人の教子と3年間濃密な教育活動を行いながら過ごしたことが自分の仕事のまとめであったのだと今はっきりとわかります。

今後、もう少し前に進むために、勉強もしなきゃなあ。そして、何より運動力激減なのははっきりしているので、この秋始めた朝ランを続けます。緊急事態宣言も開けるので、居酒屋8も。走って、漕いで、歩いて、作って、学んで、旅して、飲んで食べて語り合って。自由だなあ。31435097907e72a92bdfc6300d8b48fc34ce2991

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2021年9月19日 (日)

介護ことはじめ(同じようなどなたかのための備忘録的なもの)

実家のすぐ近くに車椅子マークの車が停まっているのを見かけることがあり、以前は普通のお宅だったところが最近は高齢者のグループの施設かなにかになったのか、と気づいたのが数年前。無意識に前を通っていたその場所に母と一緒に見学に行ってきました。

そこは、介護保険制度で、要介護に認定された利用者の方が送迎付きで通ってくるデイサービスを行っている事業所のひとつです。母は、わたしたち子どもが訪れる時以外は、人との関わりがほとんどない状態で暮らしています。コロナ以前は、電車に乗って月に1回は習い事に行っていましたが、コロナで開催中止になったことがきっかけでそれもやめていましました。本人も言葉を忘れてしまう、と話していますが、何日かおきに訪ねて時々泊まって帰ってくるだけでも、認知機能の衰えを感じる出来事がたくさんあります。そして、何より外出しなくなったので運動不足。太ることはない家系のようですが、運動しないから認知機能も衰えるし、食べることにも他のことにも意欲がない。家族以外の人と会う場所を探そうということで、動き始めたのが初夏に差し掛かる頃でした。

地域で行われている講座などの中から、母の意向に合わせて合唱か健康体操に入れてもらおうと、まずは地域のケアプラザに電話をしてみました。話を進める中で、今後のことを考えると、自力で通うよりも、介護申請をして認定を受けた上で、送迎付きで体の様子を専門的な目で見て家族に連絡してくれたり、リハビリ的なことをしてくれたりするサービスを利用することを勧められ介護保険の申請をしました。

老人性の鬱だったであろう時期があったり、父が亡くなって一人になったり、コロナで行動範囲が狭まったり、していましたが、衣食住の生活は補助なしでしているので、なるべく環境を変えないでできることはやってもらい、その代わりすこしずつサポートを手厚くして対応していこうと考えていました。だからまた介護認定などは少し先のことかなあと。

6月中旬に地域包括センター(ケアプラザ)に初めて電話で相談。上記のような内容のことを言われる。

6月22日母を連れてケアプラザへ。認知機能の診断を受ける医療機関を紹介される。

6月29日クリニック受診→2週間後に再診(薬の様子をみるため)

7月6日役所の方が書類申請のための聞き取りに来訪。母に質問をして話を聞いてくれたり、知能検査のような雰囲気の認知機能を調べるテストを少し。申請した結果が郵送されてくるまでに1ヶ月ほどかかるとのこと。

9月10日介護認定の結果が郵送されてきた。ケアマネージャーさんに心当たりはないので、家族と相談してケアプラザで紹介してもらうことにする。また、要介護1。週末に今後できることや手続きなどを調べる。デイサービスの事業所を決めることになることがわかったので、以前いただいていた「ハートページ」やネットで情報を集めるが、入浴とかは今はできているからいらないのではないか、とか身体機能はあまり問題がないので果たしてこれらのサービスが母に合っているのかどうかわからない。(この段階では自分でさがさなければいけないと思っていた。)

9月13日ケアプラザ担当者に認定結果を電話連絡し、ケアマネージャーさんを紹介して欲しい旨伝える。同日中にケアマネさん紹介してくださる。ケアマネさんからも電話連絡があり、訪問して書類を作る日程決定。

9月14日ケアマネージャーさん来訪。書類作成。母の話を丁寧に聞き取ってくださる。デイサービスの事業所のパンフレットをたくさん持ってきてくださった。自分たちで決めるのではなく、利用者である母の状態に合った事業所を紹介してくれるので、まずは見学して気に入ったところに申し込むという手順で進んでいくとのこと。パンフレットを見ながら母と見学するところをいくつか決めた。見学の申し込みもケアマネさんがしてくださるとのこと。自宅のすぐ横にある事業所については紹介されなかったので、こちらから話してリストに入れてもらった。

9月15日見学を申し込んだ事業所すべてから電話が入り、見学可能な日程などを提示された。母と見学予定を立てる。

コロナ禍の影響と思われるけれど、申請してから結果がくるまでにかなり2ヶ月かかった。現在2カ所見学に行ったところ。見学してみて、児童館(学童クラブや放課後スクール)の運営の仕方とよく似ているという印象を受けた。母も事前にもっていたイメージとはまったく違っていたそう。1つの事業所では体験参加させていただき、久しぶりに家族以外の方とおしゃべりができて楽しそうにしていた。どの事業所でも利用者の方が「楽しいわよー」「待ってるわ」と声をかけてくださりありがたかった。

 

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