日々の泡

2018年4月 8日 (日)

333

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エジプトで飲んだビールは333でした。
ビールをネットで探していたら、この銘柄もありちょっとびっくり。味は、特に印象に残っていませんが、島生活3年目、8組構成員3人、父の3回目の月命日ってことで、なんとなくこのタイトル。


8組的な目標は、「最高学年」「最幸学年」。
もしかすると、卒業生を担任するのはもう最後かもしれません。子供の思いを取り入れることはもちろんですが、やりたいことをやってしめくくりたいと思っています。
島の生活面でも、自然を味わい尽くそう、と思っています。
荒天の日以外は、車通勤はやめて、歩いて通勤するつもりです。

先日、島の観光スポットでたったひとつまだ見ていなかった名主屋敷跡に行ってきました。
噴火により全住民が島から避難したあと、島に還り住むことを指導した人のお屋敷の趾です。隣には現在も牛を飼っている方の御宅があり昔ながらの生活が感じられる場所でした。

今年度の目標として、車通勤で体力も落ちていると思うので走ろうか、と思ったのですが、道路を走るよりも、週に一回でも大凸部(島の最高峰)に登るほうが自分らしいなあと思い直しています。なにしろ、島のてっぺんで、360度見渡せるので。


夜のサークル活動の皆勤と、苦手なルーティンワークを続けること、をテーマに平成30年度スタートしました。

追記
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本日、今年度2度目の大凸部山頂、行ってきました。昨夜テレビで見た角幡氏の「極夜」で自然の中にある人間というものを強く感じたのですが、同じ場所に何度も行くことで見えてくるものもあると思っています。今日は、雲が海に映っていました。島の西側が簡単に見られるのはここくらいだと思います。下に見える道は、港に行く近道だったのですが、3年前に崩れて現在通行止めになっています。


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海は荒れていて、船は東京待機2日目です。明日の昼までは東京待機だそう。つまり、明日も船は来ません。これは、港のライブカメラをテレビで流しているもの。釣りをするのもこの桟橋。海で泳ぐのも、画面の一番手前の波で白くなっている部分。島の方が誰もいない今日のような日は、近づいてはいけない、と言われています。桟橋は、濡れると海苔でツルツル滑るので、車ですら簡単にさらわれてしまいます。

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2018年4月 1日 (日)

それぞれの春

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この春島を離れる同僚が全員島を去りました。明日、新しい方がいらっしゃいます。
人はそれぞれ感じ方が違って、どの感じ方がよくて、どの感じ方が悪いということではないと常々思っています。ですが、世間一般と自分はズレているかもしれない、と感じることが多くなったこのごろ。
多様な感じ方をよしとできることと、自分の感じたことに自信がもてないことは何か関係があるのだろうか?
自分の知っている範囲のことから、スパッと感じたことを言える人が多くて、すごいです。
島を離れる乗客がいるとき、ヘリは天候が許せば島の上空を一周してくれることが多いのですが、この春は、風が強かったせいか、ぐるりと一周してくれたヘリはあまりありませんでした。
今日のパイロットは回ってくれて、「おもうわよ」の幕を空に向けて見せました。

島に来て1年目の人が「きょうのパイロットはさすが!かっこいいよー」と叫んでいました。
数日前、島の人が、まっすぐ飛び立ってしまうヘリを見ながら「粋なパイロットが減ったね」と言っていましたが、その思いと1年目の人の発言はまったく重みが違うと思ってしまいます。きょうは、天候もよく、回ってくれたことはほんとうによかったなあ、と思いますが、なんていうか、自分のような島に浅い人間がパイロットを評価したりしちゃいけないんじゃないかと思ってしまう自分がいます。


別にけなしているわけじゃないからいいのですけどね。
人は多かれすくなかれそれぞれこだわりがあって、自分でそこと折り合いをつけて周囲とやっていくことができればいいのだなあ、とそんなことを考える年度はじめです。
さて、もう少し残った仕事をしてきます。
あとで、書き直すかも。

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2018年3月12日 (月)

北に向いて手を合わせる

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横浜駅で◯◯(8の名前)と別れる。いつもとは違って万感胸に迫るものがある。

1月3日に記された父の日記の一文です。
この日は、わたしと両親で横浜のデパートに出かけ、誕生日プレゼントだといってペンダントを買ってもらいました。ここ数年、お正月実家から戻るときに初売りのデパートに寄って、近くのホテルのティールームでお茶を飲んで別れるのが恒例でした。両親も年をとっているので、わたしはそのまま横浜で友人と待ち合わせがあったのですが、改札口まで連れ立って歩き手を振って見送りました。これが私が父を見た最後の姿になりました。
昨年末からお正月にかけて毎日実家に顔を出し、2日、父母と自分でいつもの神社へ初詣。例年と違ったのは、タクシーで出かけたこと。6年前に大腸ガンを患った父は、その後転移なしとのことで元気でした。でも、最近、肺に影が見つかり内視鏡検査を勧められたものの、「今なんともないので積極的な検査や治療はしない」と私たちにも医師にも伝えていました。夏に実家い戻ったときは、まったく普通に元気でしたので、あまり頻繁に連絡もしていませんでした。年末に「便りがないのはよい報せ」ってことでしょう?と何気なく話すと、父が「いやそうでもなくて」と。秋ごろから咳が出ることが増えたといい、駅ではエレベーターやエスカレーターを利用するようになっていました。そして、開胸検査や手術をしない代わりに1月9日にPET検査というのを受けることになったと言っていました。父が医師に余命を尋ねると、一週間かもしれないし、数年かもしれないと言われたとのこと。私がこのお正月の次に帰省できるのは、夏なので、「次のの夏までもつか?」と尋ねたら「なんとも言えません」と言われたと話していました。
私が島に来ることが決まったとき、また、島に来てから帰省するたびに、父は「俺が死んだら、こっちの方に向かって手を合わせてくれればいいから」と言っていました。わたしや母が、そんなこと言わないでよ、と言うと「死に目に会えなかったら(島から来られなかった場合)ずっと一生気にするだろう?お父さんがそう言ってたと思えば気が楽じゃないか。」と。
また、父は、数年前、これから相続の勉強をする、と言って、図書館に通っていました。我が家では、けっこう前から、両親が長期の旅行に行く前には、ここには印鑑がある、とか預金通帳はここだとか、もしも父に何かあったらこれくらいのお金がある、とかそんな話を冗談交じりで家族団欒のときにしていましたので、その延長だ、くらいに思っていましたが、今思うと本当に頭が下がります。
だいたい月一回の旅行と映画やコンサート、週末の囲碁、とアクティブな父でしたが、海外旅行に行かなくなり、山登りをしなくなってできた時間を、身辺整理や相続の準備にあてていたようです。そんなに遠くないいつかのために、家族のことを考えた遺言的なものをパソコンに保存してあるから、と年末に見せてくれました。そして、相続についての本を見せながら、これはわかりやすい、読めばだいたいのことはわかるから、と一部のページをコピーしたものと、父の作ったエクセルの書類を渡されました。その時は、こんなに早く別れがくるとは思ってもいませんでした。亡くなった後に分かったことですが、父の子供の頃からの分厚いアルバムも整理したようで、新しいアルバムに写真を抜粋して貼り直してありました。母が買い物に行っている時間にそういうことをやっていたようでした。
1月4日。
私は予定通り島に戻りました。島に着いてすぐ実家に電話をしたとき、出たのは父でした。なんだかブツ切れで電話が切れてしまったのが気になり、買い物に出ていた母の携帯に電話をしましたが、その後何も言っていなかったので特に気にしていませんでした。
6日の午前中に父からのメールで知ったのですが、実は、この4日の朝、父は自力で起き上がれなかったそうです。母の助けを借りて起き上がったこと、こんなことは初めてだったので、翌日、病院へ行き、毎週通院することになったこと、場合によっては入院もあり得ることや9日の検査は取りやめになったことが書かれていました。
年末に肺がんのことを聞いていたのは、母と私だけだったので、妹たちにもこの状況をしらせてくれ、とも書かれていました。実は私は、お正月に妹たちが実家に集まった帰り、見送りながら妹たちに父が肺がんで、もしかするともうそれほど長くないかもしれない、ということをかんたんに話していました。すぐに、父のメールを転送して、父にも返事を打ちましたが、いや、電話だ、と思い電話で話しました。これが、父との会話の最後になりました。
父は毎日日記をつけていたのですが、そのためのメモがいつも座っていた椅子の横のマガジンラックに入っていました。もともと読みにくい文字を書く父でしたが、おそらくだいぶ力が入らなくなっていたのか疲れていたのか、いつもにまして解読が大変な文字でのメモでした。6日か7日のメモには、「昨日のパソコン作業が思いのほか疲れた」とありました。後で確かめると年末に私がもらった書類をさらに亡くなる前日にも更新してありました。
1月8日朝、休日でしたが、ヘリ予約があるので職場に行こうとしていたら、妹から電話。「お父さんが救急搬送された。今病院に向かっている。」
ざわざわしながらも、職場でヘリ予約の電話かけをした後、母に電話。わたしはまだ、父に息があると思って話していました。その後、母から「お父さんが今朝亡くなりました」とメールが入っていたことに気づきました。
父は、8日の朝は普通に一人で起きたそうです。夜中に咳をしていたので、もう少し横になって休んでいたら?と母が声をかけたそうですが、起きてきたとのこと。着替えにも息が上がるくらいだったようで、母が着替えを助けている途中で力が抜け崩れるように倒れたそうです。
4日の日記には、「まだ寝たきり老人にはなりたくない」と書かれていました。きっと、そんな思いで8日の朝も起きたのだと思います。
 
わたしは、 島の洗礼を受け、9日はヘリが飛ばず、10日に出島。妹たちが葬儀の手配などはすべて進めてくれていました。
父が、島から手を合わせてくれればいい、と言ってくれていなかったら、島に来たことを後悔していたと思います。
ライフラインの名義変更や父の確定申告の準備を進めながら、大切なものがきちんと整理して保管され、領収証などすべてがクリップなどでとめられ整然と残されていることに、感謝しつつ、我が身を振り返ると反省するばかり。
父が年末に見せてくれた相続の本には、茅ヶ崎の本屋さんのブックカバーがかかっていました。いったいいつ買ったんだろう、と疑問に思っていたところ、なんと、スイカの履歴まで定期的に打ち出してそれもまとめてありました。履歴を見て母と話しているうちに、ちょうど1年くらい前に二宮に菜の花を見に行ったようでその帰りに立ち寄ったということを母が思い出しました。
苦しむことなく、自宅で、長年連れ添った母の眼の前で息をひきとったことは、父にとって幸せだったと思います。
こんな個人的なことをここに書くのはどうかなあ、と思いましたが、ここを読んでくださる方の中には、父に会ったことのある人もいるので報告を兼ねて。
年末年始とずっと一緒にいたので、離れてくれしているわりには後悔はないのですが、ただ一つ後悔すること。元旦に、孫まで全員集合したときの記念写真に、わたしは、酔っ払っていてただ一人写っていないのです。これがあなたの「なんだかんだいっていちばん頼りにしている」といっていた娘ですーーーー。
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2016年10月尾山展望公園にて (撮影8)

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2018年1月 5日 (金)

寂しいメダカ

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10日ぶりに教室に行った。湿気対策でエアコンを常時稼働させておくのが普通だった昨年度はあまり感じなかったけれど、今年は乾燥していることもあって上の方針が変わりエアコンはオフになっていたのでどん冷えでした。伊豆諸島最南端、というと暖かいイメージがあるけれど、気温は10度を切っている。

6月頭に、青い航空会社の人に特別にお許しをもらって東京から持ち帰ったヒメダカ20匹。卵を採取して、20匹くらいの赤ちゃんメダカが産まれた。保育園水槽で隔離し、だんだん数は減ってしまったけれど、冬休み前には、1センチ強のメダカが5匹、20匹のうち7匹が生き延び、大人水槽で泳いでいた。確かに。

毎朝、教室に行くと、まず2つの水槽をのぞきしばし癒され、子供が帰った後、また水槽を眺めて諸々リセット。そんな習慣で、今日も、まっすぐ水槽へ。まずは、保育園水槽。3匹しか見つからない。5匹のうち2匹は産まれた時期が少し遅かったこともあり、なかなか大きくならなかった上、ちょっといじめられていたので、お亡くなりになったのかもしれないなあ。続いて大人水槽をのぞく。水温も低いので、メダカも動かないだろうと予想はしていたけれど、3匹しか見当たらない。水草の影にいるのかも、とピンセットで水草をかきわけたけど、やっぱり3匹。水を少し揺らしてみたけれど、3匹しかいない。メダカは弱ったり、お亡くなりになると、共食いもするし、タニシもメダカを食べるので、今までも、亡骸が見つかった個体は4匹ほどだった。子供メダカは、暖房が効いてきたら4匹確認できた。合わせて8匹。

暖かい職員室に移動させなかったことが悔やまれます。
次に5年生が在校して教材で使うまでなんとかブリーダー活動を継続しなくては。。。
雌雄の確認を忘れたけれど、残っている大人メダカが全部同性だったら、今年は赤ちゃんが生まれないなあ。ここも少子高齢化問題か。

画像は、無関係ですが、昨年末の誕生日、休日だったのに一人でご飯作って食べて、という日だったので、何か新しいことをしよう、と思い立って作った(といってもホームベーカリーの作品だけど)チョコメロンパン。

まだ帰省している同僚が戻っていないので住んでる住宅はわたしだけ。PCからBoseに飛んで鳴り始めたのは、CLIMAX80'sでした。誰もいないから、大きな音で、節操なく感じるラインナップのBGMです。

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2018年1月 4日 (木)

夜空よ今夜もありがとう

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本日予定通り島にもどりました。
東京湾から富士山まで、霞んでいましたが、雲に遮られることなく見渡すことができました。
昨年は三が日のうちに帰島したからか、気付かなかっただけか、わかりませんが、東京湾にはたくさんの船が動いています。子供の頃、鉛筆のお尻の方を手のひらで抑えて芯を滑らせて線が書けたところまで進めるという軍艦ゲームというのがあったのを記憶していますが、まさにそれのように、たくさんの船とその大きさに見合った航跡が見え、ラインもないのによく衝突しないなあと、感心します。こんな中で漕ぐ時、カヤックは最新の注意が必要だな、と改めて思ったりもしました。

たった2名しかいない8組っ子は、二人とも今年になって誕生日を迎えました。
島にはケーキ屋さんがありません。バースデイケーキは手作りするか、隣の島に注文して、ヘリコプターに乗ってくる島民に預けて膝の上にかかえてもらい、ヘリポートで受け取る、かどちらかです。
そんなわけで、妹(の働いているケーキ屋さん)に無理を言って、生バースデーケーキを二つ用意してもらいました。ものすごく喜んでもらえたので嬉しかったです。
昨年は、グーテデロワ(新年を占う陶器のマスコットが埋められているパイ)頼んでいたのに東京の自宅玄関に忘れてくるという失態を犯したのは時効ってことで。
立場で考えたら、ここまでするべきことじゃないという考えももちろんありますが、たった二人だし、ここならではだし、です。

島に戻ったら、さっそく島の青年からお呼ばれ。一緒に飲んだことはあるけれど、初めて誘っていただいたので、梅酒を持参していっぱいだけ飲んで帰ってきました。満天の星空の下を歩きながら、フェイスタイムでこの星空は映るかなあ、などと考えていましたが、帰り道、空は雲がいっぱい出ていて星は見えなくなっていました。

明日から、本格始動です。

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2018年1月 1日 (月)

あけましておめでとうございます

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いろいろなものやこと、自分を見直すことができた2017

特に友達や仲間など人のありがたを強く感じる1年でした。

会って、語らって、飲んで、食べて、受け入れてくださったみなさま、ときどき思い出してここを訪れ気にかけてくださったみなさま、ありがとうございました。

2018年は、これからのことを考えながら、まさに「8の素」を濃縮する1年にしたいと思っています。

しばらくは、いつでもどこへでも、というわけにはいかない生活が続きますが、本年もどうぞよろしくお願いします。

平成30年1月1日 

画像は、今年のおせち 花形人参マスター。たつくりときんとんは8作。

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2017年10月30日 (月)

手仕事

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少し前のことになるが、PTA主催の作品講習会なるものに参加した。
以前の職場でも似たようなものが開催されていたけれど、たいてい、子供のいる昼間に保護者向けに開かれていたので、興味があっても参加できなかったので、はりきって参加。
こちらでは、広く村民からも参加者を募り、講師になることができる島民や教員が講師になり、材料をまとめて購入して、最近流行り(らしい)ハーバリウムから、コネペタせっけん、という粘土細工のようなちびっ子でもできるものまでいろいろな講座が開催された。
わたしは、エコクラフトを選択。
作成したのが、写真のかごバッグなのです。
もともと、工作などは好きで楽しかった〜!!
そしてはまった〜!!

ということで、すでに、自分でも材料をポチりました。
制作にかかった時間合計6時間程度でしょうか。
講師の先生から、中に好きな柄の布をはったり、口に布をはって、きんちゃくのように紐でいめられるようにしたり、いろいろアレンジできる、と教えてもらいましたが、とりあえず、何も材料がないのでこのままに。
これ、ちょうど、ビール3缶入るのです。呼ばれしたときに、ビールを持参するのにも使えそうですが、こちらに来て浴衣を着る頻度が高いのでそのときにもつのにぴったりだと思います。
材料などを少し。
これは、もともとは昔ながらの米袋の口をしばるためのものだった、1、5センチ幅くらいの平たい紙ひもでできています。
このひもは、細いこより状のひもを12本並べてつないであるものです。これを必要に応じて、4本とか、2ほんとか3本とかの幅に裂いてそれを編むのです。
接着は全て木工用ボンドで、仕上げにニス塗りをしてあります。ニスのおかげでかなり丈夫です。500mlのビール3本入れても大丈夫です。
テープはいろいろな色があり、本も何冊もでていて、かごのデザインもいろいろあります。まずは、これと同じデザインを色違いで作ってみようと思います。

閑話休題。
おとといの居酒屋八は、盛況でした。先週は職場でいろんなことがあったため、若者が予約来店。その後、別の集いが終わった若者が流れてきて日付が変わるまで。
今回のメニュー 覚書
カボチャサラダ(ひんぎゃで蒸したカボチャをペーストにしてアーモンドと玉ねぎを投入してマヨネーズで味付け)
玉ねぎとひじきの甘酢サラダ
ひたし豆
和風ポークソテー パイナップル味噌ソース
千切りキャベツ
きゅうりのオクラの佃煮和え
栗ごはん(の素を送ってもらったのでそれを利用)
ビール サッポロクラシック富良野ヴィンテージ
青酎みかん酒
予約来店した若者男子提供
自家製チャーシュー(美味しかった!)
煮卵
ムロアジのなめろう(栄養士作)
同僚向けに、でも宣伝はせずに細々と開店するコンセプトだったのですが
同僚(もれなく若者)が本物の居酒屋でしゃべったらしく、島民のお客様が来て
びっくり。
家呑みの日、というより、ちょっと忙しくても料理をしっかりするメリハリがつくきっかけでもあります。限られた材料でバリエーション豊かなメニューに挑戦という感じです。

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2017年10月23日 (月)

かんも

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島の土でも実るかんも(さつまいも)

病気や虫にやられても確実に収穫できるように、いろんな種類の芋を植えています。
職場の農園の収穫はちょっと先ですが、蜜いもをいただきました。
オーブンで焼き芋にしてみました。
美味!
数日前にアップしたハイビスカスは、職場の玄関横なのですが、今朝、職場の様子を見にいくと、一番太い幹が根本の方から折れて花はなくなっていました。今回の台風は、校庭の方角から校舎に吹き付ける風だと言われていましたが、その通りでした。サッカーゴールも倒して重石をのせていたにもかかわらず、数メートル動いていました。
EMMプロジェクト(昨日参照)のCMで宣伝したのはコレ↓
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台風の中で EMMプロジェクト(備忘録的な)

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昨日、学習発表会が終わりました。

5年生8組「EMMプロジェクト」まずまずの出来でした。
島の方言について、村民にアンケートをとりました。村民が160人なのですが、アンケートは郵送や、島の広報に入れてもらうなどといったことはせず、地域行事の出口で子供たちが配布したり、役場や郵便局に用紙をおかせてもらったり、口コミで伝えたり、手渡ししたり、という原始的な方法で行いました。地域の健康体操の場に出向いて高齢者からは直接回答をいただくこともしました。
そんな中で、なんと57人もの方から回答をいただくことができました。
これも、子供が手書きした手紙をつけたからだと思います。もちろん、わたしが書いた趣旨説明の文書もつけましたが、何人もの方から8組っ子の手紙に心を打たれた、と言われました。
関連する本を貸してくださったり、わざわざ、昔の資料をコピーして回収ボックスに入れてくださったり、お手伝いしますよ、と声をかけてくださったり、思いの外反響があり、予想外のことで驚きました。
発表は18分ほど。
<構成>
オープニング 「ももたろう」冒頭 島言葉バージョン(録音) 絵をスクリーンで映す
番組テーマミュージック
・キャスター2名のあいさつ 「本日の特集 島言葉」を伝える
・新聞記事(消滅危機言語について)紹介
・アンケートより1 回答者について 総数と世代ごとの人数
・アンケートより2 島言葉がわかるかどうか
CM1 青ヶ島 鬼辛 (ポカリ鬼ガチダンス パクリ)
・アンケートより3 島言葉についてどんなイメージをもっているか
・アンケートより4 島言葉を使うことがある人の割合(世代別)
・アンケートより5 島言葉を使うのはどんなシーンか
CM2 青ヶ島 釣り(townワーク パクリ)
・島言葉クイズ
・島民からのメッセージ紹介1
 キャスターに宿題や問題を出してくれた方には、その場で返答しながら
・キャスターAの考察と今後の展望/提案
・島民からのメッセージ紹介2
・キャスターBの考察と今後の展望/提案
番組テーマミュージック
・キャスター挨拶
スクリーンに紹介しきれなかった島民からのメッセージをエンドロールで流す
<舞台セット>
スクリーン1
パネル2(うち一つは途中で回転させて裏表使用)
キャスター用テーブルと椅子
番組タイトルの入った目隠し
CMで使った青ヶ島丸の絵をオブジェとしてスクリーン前に置く
<小道具>
指し棒
新聞記事フリップ
フリップ立て
島言葉クイズ用フリップ
<キャスター衣装>
男子:黒にストライプスーツとネクタイ
    スーツ協力 妹その1(甥っ子のもの)
女子:白ジャケットにチェックのスカート
    8私物➕本人私物
<音楽>
朝まで生テレビのテーマ
ポカリスエット鬼ガチダンス
島言葉クイズコーナーは、小学生がリハーサル時に見ていたので、答えないでね、と言っておいたら、反応が薄く、テンパったキャスター1名が即終了させるという荒技に出て、失笑を買う中、キャスター2が、なんとか答えを披露する、という放送事故らしきものもありましたが、その他は、台本首っぴきではなく、ボードを見ながら話し、観客を見ながら自分の主張を伝えていました。そして、観客が大人だと、CMの受けもよかったです。
そして、今回は、選挙と重なったため、打ち上げを予定していた場所が使えなくなり、急遽、営業していない居酒屋を借りての打ち上げとなりました。
久しぶりに宴会担当となり、司会。
大人の学習発表会、という設定にして、大勢の人にスピーチを回すだけの司会でしたが、今の若者はこういうスタイルを知らないのか、嫌なのか、この島に来て初めてのスタイルでした。この業界、フればみなさんしゃべることばたくさんあるのです。そして、こういう機会にそれぞれの人柄が滲み出たり、職場の一体感が高まったりするのだと思うのは、古いのかもしれないけれど、けっこう盛り上がった2時間でした。
8時には終わり、幹事だったので最終確認をして帰宅。残ったお料理を持ち帰った人がいたので、どこか(誰かの家)で二次会をやっているのかな、と思いラインするも、返事なし。こういうとき、同世代がいないのは寂しいです。同世代らしきカテゴリに入るのは管理職なんだけど誘わず、学習発表会の達成感を肴に 一人二次会しながら東京にいる友人とメッセージのやりとり。
雨戸は閉めたけれど、何か飛んでくるのではないか、というくらい強い風音をBGMにベッドに入りました。
そして、本日は振替休業日。雨はほとんど降りませんでしたが、ものすごい風だったので、休みでよかったです。朝チェックに行くと、田んぼのネットは支柱が全滅していたのですが、まだ風が強かったので、明日の朝一でネットを張り直します。今週末稲刈りなので、ここまで守ってきたのに、ここでスズメにやられてしまうのだけは避けたいのです。

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2017年5月 7日 (日)

2017GW前半 青ヶ島

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島に来て1年ちょっとたちました。
このGWに、これまで何度も共に旅した友人が遊びに来ることになりました。決まったのは3月ごろだったのですが、GWの島の宿は全ていっぱいだということなので一緒にキャンプすることになりました。
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友人が来ることが決まってから、行こう行こうと思いながら行ってなかったサウナに初めて入ったのですが、地熱サウナは、日によって温度が違います。この日はほどよい温度でした。洗い場や浴槽もあって、かなり快適。キャンプ場の近くにあるのもいいです。ただ、休憩室のテレビとマッサージチェアはアクセサリなので注意が必要です。1回300円。回数券は10回分で1回ただになります。今後はこれを利用しようと思います。

昨年のGWに一人でキャンプしてみようと思ったら、難民テントのようなぎちぎち状態。しかも事前に申し込みが必要だとのことであきらめました。だから今年は、まずは役場のHPでキャンプ場利用について調べ、2週間前にメールで(行った方が早いけど)申し込み。そして、当日は港で友人とともに利用上の注意などのレクチャーを聞き、車でキャンプ場へ。他のキャンパーは徒歩だったので乗せてあげようか、とも思いましたが、全員は乗せられないので声をかけませんでした。昨年のテント村状態が予想されたので、まずは、テント場を確保してテントをはってしまってから、不要な荷物を住宅に運んだり、観光したりした方がよいと考えたのですが、今年から、申し込み受付数を制限したそうで、けっこうゆったりとしていました。

寝床を確保した後は、島の観光ポイントを回りました。車が運転できるようになってからの客人は、両親に次いで、2組目。両親が来島したときは、車を切り返すのが怖くて行かれなかったところも今は大丈夫です。天気にも恵まれ、島で一番高い大凸部山頂からは360度の景色を楽しむことができました。その景色を眺めながらランチ。山頂には私たちのほかにも5、6人いました。こんなに人がいることも珍しいと思います。(冒頭の写真が山頂でのもの)
今回訪ねてくれた友人には、初日のランチは調達してきてほしい(もちろんわたしの分も&できれば都会臭のするもの)というずうずうしいお願いをしていました。今、けっこう仕事が忙しくて前日まで余裕のない生活をしていたので料理を作り置いたり仕込むことができなかったからなのですが、友人も前日は夜まで残業していたとのことで、夜遅くまでやっている銀座ポンパドールでパンを調達してきてくれました。都会はすごいですな。ありがとう!!

その後、住宅に戻り、キャンプ道具と、こちらに赴任する時に実家から持ってきてしまったオシャレキャンプ御用達の椅子や、ランタン、食材、ビールを入れたクーラーボックスを車に積んでキャンプ場に戻りました。ひんぎゃに野菜を仕込んでいる間にサウナに入り、蒸しキャベツにつける肉味噌を作り、鶏肉を焼き、宴のスタート。
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なるべく明るいうちに作業をしてしまってあとは、星を眺めつつ飲んでしゃべる。楽しい夜となりました。星を見るために少し上まで行き、道路に寝転んで眺めていましたが、これは注意されている行為だったようです。撤収して、歯をみがき始めると雨が降り始め、なんともよいタイミングでした。けっこう強い雨が降りましたが雨雲は1時間くらいで通り過ぎたようです。
翌朝は4時ごろから鳥が鳴き始め目覚めるも、6時前まで二度寝。コーヒーを入れ、朝食。テント場に太陽が当たるまで丸山を1周し、明日葉を摘み、島の方のご好意に甘えて充実した時間を過ごし、テントを乾かして撤収。その後、ジョウマンへ。牛がこんなに近くにいたのは初めてでした。この日もサウナに行くことにしたので、プリンの材料を仕込んで、サウナに入っている間にひんぎゃで蒸しました。プリンは蒸しすぎて、スが入ってしまいましたが味はまずまず。そして帰りに、サウナの管理人さんに畑に連れていってもらい、ほうれん草と大根をいただいてしまいました。同僚にタケノコをいただいたので、プリンと大根をおすそ分けして帰りました。ほんとうにありがたい事です。
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この日は、焼酎工場を見学させてもらえることになったので、今年島に来たばかりの同僚にも声をかけて、美しい夕日に見送られながら焼酎工場へ。
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実は、友人と同じ日程で共通の知人も来島していました。底土港(八丈島)で友人同士出会ってびっくりだったとのこと。その知人も誘いました。友人も知人夫妻も青酎を気に入ってくれてお買い上げいただき、私も2020まで開けない(つもりの)1本を購入。突然の見学に応じてくださったAさん、ありがとうございました。前回見学に行ったときより綺麗にスッキリしていていたのは、小池知事がいらしたからでしょう笑。
この知人夫妻がいたので、友人も一人ぼっちにならないので、5月1日は安心して仕事に出かけました。知人夫妻は1日の夜がキャンプだったので、友人はサウナに入って住宅に戻ってきていました。夕飯は島の居酒屋に。青酎を飲みながらいろいろ話しをしていると、キャンプ場で会った若者がやってきたので、一緒に飲み、同じ星空を見ていたとは思えないすばらしい写真をいただきました。
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友人も、知人夫妻も2日のヘリで帰るので、仕事のある私は見送ることができませんでした。授業の合間に学校からヘリポートを見ながらちょっとだけ見送りました。自分も3日に八丈島に行くことになったので、知人夫妻とはそこで再会することを約束しました。

青ヶ島のキャンプ場、キャンプ初心者にやさしくとてもいいです。焚き火ができる場所あり。カマドあり。雨水のため飲むことはできませんが水道あり。水洗トイレあり。そして、ひんぎゃで調理ができて、サウナで汗を流すことができます。これを書いているGW最終日の今日もふらっと行こうと思います。 

人とのつながりが楽しみを大きくしてくれることを実感した2017GWです。ちょっとだけ仕事しないと。後半はそのあとで。

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