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2020年8月

2020年8月20日 (木)

夏休みおしまい

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 夏休みといえば、旅。最近はその多くが海旅でした。カヤックに食料と水とキャンプ道具を積んで行く旅。南の島に行けばもちろん、そうでなくてもこげば汗をかくし、日焼けもする。それでも、これが夏なんだーーーと夏まみれになっている実感があった。ランチのあとはアダンの木陰でお昼寝をして、攻撃的な太陽を避け、少し落ち着いたころその日の宿となるビーチまで少し漕ぐ。日が落ちる前に寝床を作り、まだ冷たいクーラーボックスに入っているビールやアルコールで適度に体を冷やしながら、流木を集めて火を起こし、夕飯を作る。夜になってひんやりとした砂をソファに火を囲んでおしゃべり。仰向けになって星を眺め、この景色をわかちあいたい人のことを考えたり、仲間としゃべったり。眠くなったらマイペースにそこで眠るのもよし、テントに戻るのもよし。そんな夏休みを過ごすために、今は我慢ですね。

写真は、2004夏ケラマ。今より太いのは若いってことです。

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2020年8月19日 (水)

歩道橋にまつわる話2

ずばり、味噌汁の匂いです。

転勤族で時々この街を離れてはまた戻ったりを何回か繰り返したわたし。

街を歩いているとふとした瞬間に、あ、地元の匂いだ!と思うことが何度もありました。特に、夕方帰宅する途中に、この歩道橋から山も海も見えないけれど、海の方向に向かってうすい夕焼け空を見ていると、ああお味噌汁の匂いがする、とよく思ったものです。

大人になって、またこの街に戻ってきたときに、お味噌汁の匂いは、ビール工場の匂いであったことに初めて気づきました。もちろんその頃は、もうビールも飲めるようになってひととおり、お酒との付き合い方もお勉強したあとでした。毎日感じるわけではなかったので、気温とか湿度とか、もしかすると工場の稼働状況などが影響していたのかもしれませんが、この匂いとごちゃごちゃした景色は地元の象徴そのものでした。

 

その工場がなくなって10年以上たちます。多感な10代前半に、ものすごく好きだった高校生ライフの場が強制終了になり、新しい場所を楽しもうというポジティブさはなく、この街に戻って来て定住するまでずっと心の故郷、心の母校、などといってこだわっていた場所がここでした。創作童話を書いた頃も、この街を離れていてしばしば「出身はどこ?」と尋ねられることがあったのですが、戻る家があるわけでもないこの街が出身地(ふるさと)だと思っている、とよく口にしていたと思います。

そこからさらにかなり長い時間がたって、ものすごく好きだった高校生ライフへのこだわりにもさよならできました。結果として、高校時代は空中分解したまま終わっていますが、それもまた自分の栄養になっています。そして、今、大手を振って地元民です、と言えます。

 

まあ、すでに人生の半分以上をこの土地で過ごしているから当たり前ですけれどね。ランドセルを背負ってこの上を走ってゆらして遊んだこと。大人になってから悲しいことがあるとふらっと行って泣いたこと。大人になってからは、たぶんこの歩道橋を渡ってる人はあまりいなかったように思う。だから、誰にも会わず一人になれて、ちょっと開放感のある場所でした。

ちなみに、ビール工場として「江戸」にあるのはここだけだそうで、江戸前というビールはここで作られていたと記憶しています。ビアガーデンもありました。メニューはべたなフレンチスライポテトと唐揚げと大ジョッキみたいな感じで、提灯が飾ってある、ただの屋上でしたが、地元還元祭りみたいな日がありました。一度だけしか行かなかったんですけれど。

 

この歩道橋は撤去されることを教えてくれた妹から、聞いたのですが、このお味噌汁の匂い、同世代にとっては共通の感覚みたいです。表現のしかたも。

そして、歩道橋の真ん中で眺めるのはいつも海方面でした。

 

そんなことを思い出す夏休みの終わり。

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2020年8月15日 (土)

歩道橋にまつわる話1


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子供のころ通学路にあった歩道橋がなくなる、と聞いて慌てて行ってみました。4箇所ある階段の3箇所はすでに取り壊されていて、もう渡れなくなっていました。最後に渡ったのは、都知事選の日でした。
交差点を斜めにクロスする形のこの歩道橋は転勤族で全国を転々としていた子供時代のよりどころであり、象徴であり、地元を語るときにはずせないものです。

 

学生時代、国文学の授業で童話を創作する課題がありました。タイトルや内容の詳細は忘れましたが、歩道橋の上からの景色をモチーフにしたことだけはずっと覚えています。

片付けをしながら、当時同じ授業を取っていた学生の創作童話集を発掘し、手書き、藁半紙の冊子を開いてみました。

 

作品は思いばかりが先行していて、プロットがしっかり固まっていないひどいものでした。今でも覚えているモチーフがいくつもあるのですが、言ってみれば全部入りになってしまっていて、物語としての魅力が見つかりませんでした。

 

が、お宝発見!

「研究は別といて、創作は若い時ほど豊かな発想を盛り込むことができ有利のようです。創作技法・技術の問題もむろんあります。しかし、より大事なのは、自らの夢をはぐくみ、大きくしていくことです。現実がきびしいと夢が育たないなどと言う人もいますが、そうではなく、きびしい現実を打開するためにも夢が必要なのです。」

この授業の担当だった関口安義先生が、手書きで寄せてくださった文章の一部分です。

 

「きびしい現実を打開するために夢が必要だ」昭和だったころのきびしい現実と、今のきびしい現実は違うけれど、根の部分は同じなのかもしれない。今かかわっている場所で、かかわっている人の夢の種をまいたり、育てたりしようと思う。

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2020年8月13日 (木)

ROAD TO 車で外遊び

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働き方改革とコロナ禍による生活の変化により、週末と夏休みの過ごし方も例年とは全く違う。

自分として、少しずつ描く未来に近づいているのは、車の運転か。

乗り始めて半年。緊急事態宣言の間は車にも乗らなかったので、運転再開して実質3ヶ月弱で走行距離550キロ。

そのほとんどが、自宅と実家の往復だけれど、都会の運転にもだいぶ慣れました。コインパーキングも利用できるようになったし、車線変更も必要以上に緊張しなくなった。でも、まだ高速には乗れない。これはやっぱり誰かに隣に乗ってもらわないと怖い。

目指すは、一人でスキーや海や山にフラッと出かけられること。もちろん、現地では仲間に会いたい。現地までの足では自立したいっていうところです。そして、時間が自由になった暁には、ロードムービー的な旅をしたいですね。車には折りたたみカヤックとスキーとキャンプ道具を積んで。たしか、後部座席はフラットにすると十分寝床にもなるんだったっけ。

 

そんなことを夢見て、今日も運転しました。隣には私の運転する車に乗るのが初めての妹。最初は明らかに怖がっていたけれど、目的地に着くころには安心して乗っていた模様。自分はというと、話し相手がいるとちょっと散漫になって、運転の方を優先させるから会話が途切れたりすることもありました。これって、助手席に座っているとき、時々、「あ、自分のおしゃべりが運転の邪魔になってるな」って感じていたあれなんだなあと改めて思いました。

 

一人で運転していると聞いている音楽がものすごく染みる。イヤホンで音楽聴きながら街を歩いているのと似ているけれどもっと自由な感じです。車を手に入れたときに、お友達がiPhoneとシガライターを繋ぐ変換器をプレゼントしてくれたので、次に運転するときは、スマホとつないで音楽を流してみようと思います。今はCDにしていますが、これがねえ、1枚しか入らないからずっとリピートなんですよ。特に古いアルバムは10曲しか入っていなくて短いからね。飽きるとラジオを聞いています。

音楽以外にも使いこなしていない機能がたくさんありますが、まずは、運転の経験値をあげていこうと思ってます。

 

下道で東京から横浜の往復で気持ちがいいのは、川沿いと、多摩川を渡る時ですね。開放感がある。

 

 

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