ずばり、味噌汁の匂いです。
転勤族で時々この街を離れてはまた戻ったりを何回か繰り返したわたし。
街を歩いているとふとした瞬間に、あ、地元の匂いだ!と思うことが何度もありました。特に、夕方帰宅する途中に、この歩道橋から山も海も見えないけれど、海の方向に向かってうすい夕焼け空を見ていると、ああお味噌汁の匂いがする、とよく思ったものです。
大人になって、またこの街に戻ってきたときに、お味噌汁の匂いは、ビール工場の匂いであったことに初めて気づきました。もちろんその頃は、もうビールも飲めるようになってひととおり、お酒との付き合い方もお勉強したあとでした。毎日感じるわけではなかったので、気温とか湿度とか、もしかすると工場の稼働状況などが影響していたのかもしれませんが、この匂いとごちゃごちゃした景色は地元の象徴そのものでした。
その工場がなくなって10年以上たちます。多感な10代前半に、ものすごく好きだった高校生ライフの場が強制終了になり、新しい場所を楽しもうというポジティブさはなく、この街に戻って来て定住するまでずっと心の故郷、心の母校、などといってこだわっていた場所がここでした。創作童話を書いた頃も、この街を離れていてしばしば「出身はどこ?」と尋ねられることがあったのですが、戻る家があるわけでもないこの街が出身地(ふるさと)だと思っている、とよく口にしていたと思います。
そこからさらにかなり長い時間がたって、ものすごく好きだった高校生ライフへのこだわりにもさよならできました。結果として、高校時代は空中分解したまま終わっていますが、それもまた自分の栄養になっています。そして、今、大手を振って地元民です、と言えます。
まあ、すでに人生の半分以上をこの土地で過ごしているから当たり前ですけれどね。ランドセルを背負ってこの上を走ってゆらして遊んだこと。大人になってから悲しいことがあるとふらっと行って泣いたこと。大人になってからは、たぶんこの歩道橋を渡ってる人はあまりいなかったように思う。だから、誰にも会わず一人になれて、ちょっと開放感のある場所でした。
ちなみに、ビール工場として「江戸」にあるのはここだけだそうで、江戸前というビールはここで作られていたと記憶しています。ビアガーデンもありました。メニューはべたなフレンチスライポテトと唐揚げと大ジョッキみたいな感じで、提灯が飾ってある、ただの屋上でしたが、地元還元祭りみたいな日がありました。一度だけしか行かなかったんですけれど。
この歩道橋は撤去されることを教えてくれた妹から、聞いたのですが、このお味噌汁の匂い、同世代にとっては共通の感覚みたいです。表現のしかたも。
そして、歩道橋の真ん中で眺めるのはいつも海方面でした。
そんなことを思い出す夏休みの終わり。