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2010年12月27日 (月)

心を洗う

12月22日
職場忘年会。なんとも、ばらばらな職場を象徴したような会でしたが、その中で心に響いた言葉。大ボスの代わりにお言葉を述べた中ボスの話より。

子どもは、純粋な心をもっている。大人もそういう心をもっていたはずなのに、心はだんだん汚れてきてしまう。だから、心を洗うということを時々しなければならない。

いい事言うなあ、たまには(失礼ですが)。汚れるっていうのがちょっとぴったりしなかったので、ちょっと考えてみました。自分だったら「濁る」とか、「曇る」とか「錆びる」とか、いう言葉を選ぶかな。

それで、何が言いたいかというと、ワタシにとって、カヤックを漕いだり、キャンプをしたりするのは、強ばった頭と、濁った心を洗うことなんだなあ、と妙に納得したということです。

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コメント

周りが見えなくなることを汚れるって言うのかな。

自分は自分の周りによって生かされてるんだ
って思い出せるところへ行くと
奇麗になるというかクリアーになるような気がする。

投稿: benjamin | 2010年12月27日 (月) 00時13分

>べんちゃん
そんな謙虚な心はないなあ。今の自分には。
ただ、自分が自分らしく、自由に振る舞える場所に立ち戻る、という感じです。ふだん感じないようにしていることも感じられるようになったり、感じたことをそのまま何の評価もしないで表現できるような。

投稿: 8 | 2010年12月27日 (月) 00時32分

教育現場のど真ん中にいる人が「子供は純真。大人は汚い」という風に思っているとはちょっと意外でした。もっと冷めてみているのかと思っていたので・・・

投稿: タカバシ | 2010年12月27日 (月) 08時05分

この話には、前があって、中ボスが奥方と見た映画の話から、子どもってほんとうに純粋な心をもっている、とつながるのです。日々、そんなことを思っているわけではないです。子どもは大人より残酷だし、1年生だって自分を守るためには嘘をつくし、ごまかしたり、ひきょうなことをしたり、するからね。
冷めてたら、もっとうまくやれるのかもしれません。

投稿: 8 | 2010年12月27日 (月) 21時21分

誰かと話をしてて
感受性だったり想像力だったり余裕だったりが無いなって思うと
勝手だけど「頑張れ〜」て言いたくなる。

相手が何を期待してるか。何に重きを置いてるか。何を考えてるんか。
自分が「汚れて」ると、そういうことが曲がって(フィルターされて)感じ取られてしまうんだろうな…て。
# 自分のことは、さておき(苦笑)

相手が子供の場合、きっと、自分がそういう風に見られてるんちゃうかな、てね。

投稿: benjamin | 2010年12月27日 (月) 22時50分

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