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2009年9月 3日 (木)

8月20日 オホーツク舟歌の旅 5

目が覚めると、どんよりとした曇り。どうやらわたしたちは、雲と一緒に移動しているらしい。
船泊の番屋付近で遡上してくるマス釣りの方は、遠目に見ていると、既に釣果を挙げている様子。そうこうするうちに、釣り客を船で送ってきた相泊のIさんが、キャンプを尋ねてくれました。地元の人の話は面白い。熊の話、魚の話、海藻の話などしながら、マス2尾と、ナマコをいただいてしまいました。
新谷さんの「本日ここで停滞!」の言葉に、一気にのんびりモード。誕生日を迎えたM嬢を祝うメニューとしてチャンチャン焼きをすることになり、わくわく。そして、ギンナンソウという岩場に映えている小さな海藻や、立派な羅臼昆布をちょこっといただきました。やっぱりキャンプはこういうのが楽しい。
そして、一人5ミリくらいずつコノワタもいただきました。幼少のころ、叔父の肴だった上げ底の箱に入ったコノワタを美味しい美味しいと食べて「この子は酒飲みになる」と言われたことがありますが、コノワタが貴重な訳がよーくわかりました。
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この日も新谷さんは、ラジオを聞きながら天気図をひきました。
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そして、やはり、今日のうちにもう少し先まで進んでおくことになりました。
停滞モードで遅めの朝ごはんを作っていたところだったので、そのお粥を食べて10時45分出発。

タケノコ岩、観音岩を回って、崩れ浜へ。昨日ほどではありませんが、今日も正面から吹く風が迎えてくれました。もちろん、写真を撮る余裕はなし。

崩れ浜は、今までで一番寝心地の悪そうな大きな石の、傾斜のきつい浜でした。1時ごろ上陸した後、
ゆっくり寝床作り。まるで、浴槽を作っているかのように、平べったい石を探してきれいに並べでから
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テントを張りました。今回の宿は、傾斜を利用して、テントの入り口を開けて座ると、掘りごたつか椅子に座っているように足を下ろせるようにしました。風に強いテントであることは台風の奄美大島で証明済みだったので、風が強かろうが、雨が降ろうが、旅の初日からずっとこだわっているおーしゃんびゅーです。

ガイドさんが、石を平に並べなくても、崖側に生えている肩くらいまでの背丈の草を20本くらい石の上に敷けば寝心地がよくなると、伝授してくれました。

この後、知床ではめずらしく流木を求めてだいぶ遠くまで歩いたり、あり合わせの材料でM嬢のバースデーケーキの準備を始めたり、昼寝をしたり、8組に残暑見舞いを書いたりしていると、、、、、
4時の天気図を書き終えた新谷さんが、「出ましょう」と。
この時、4時30分。「波がもう上がり始めているから」と。
わたしは、といえば、もうすっかり陸上の服装。漕ぎ用の装備はすべてまだ濡れたまま、テント周りの岩の周辺でさらに雨に濡れたりしています。しかし、そんなことを考えるよりも早く、濡れて滑りの悪いウェアを必死に身に付け、テントの中で全てのものを防水バッグに放り込み、雨の降る中テントを撤収。緊張するし、お腹もすいているし、今から漕いだら、初めての日没後のカヤッキングになるのかも。
漕ぎウェアになり、不知火にも共同装備をつめこみ、5時15分には全員出艇。
1日早いですが、相泊まで行くことになりました。風は昨日より弱いですが、波は所々では白波が立っているし、うねりも今まででいちばんあります。景色や途中で出没していたらしいクマなんかまったく見る余裕はありませんでしたが、今までの経験を信じて大丈夫、と言い聞かせてじゃんじゃん漕ぎました。たぶん必要ない、と言われましたが、途中で装着することはできないので、ヘッドライトもつけました。雨が激しくなったゴールの一つ前の入り江で、どこかの番屋に光が見え、がんばれーと声も聞こえて元気をもらいました。今、カヤッカーを温かく見守ってくれる土壌があるのもこれまでのいろんな取り組みのおかげなんだろうな、と思いながら、とにかく手を休めずに1時間漕ぎ続けて相泊に到着。
上陸は波がひっくり返る中だったので慎重に1艇ずつ。
思いがけず1日早くおしまいを迎えましたが、この日は、1日で3日分の体験をしたしびれる1日でした。

そして、今朝マスを分けてくださったIさんが浜で出迎えてくれて、その番屋に泊めていただくことになりました。
今回の女子チーム。完漕の喜び。
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その後、畳の上で、1時ごろまで宴会。
「北の勝」「男山」1升ずつがあっと言う間になくなりました。

この旅の間、新谷さんが何度も歌っていた「オホーツクの舟歌」(森繁久彌)の全貌をこの宴会で聞くことができました。「知床旅情」を加藤登紀子にあげてしまったので、森繁が自分自身のためにもっと起源的な部分を詩にしたのが「オホーツクの舟歌」だそうです。
廃屋になった番屋をいくつも見て、昆布漁をする漁師さんを間近で見てきた今だからこそ、この詩の世界が少し理解できるのだろうな、と思います。

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コメント

大変お疲れ様でした。やはり知床はこうでないとねというストーリーに収まってやや居心地はよくなりました(゚ー゚)

それにしても漕ぎ力もアウトドア生活力も未確認の旅団を引き連れて無事に旅を進め完成させる新谷さんには本当に恐れ入ります。

惚れちゃったりはしないんですか?

投稿: タカバシ | 2009年9月 3日 (木) 06時20分

もっと、大荒れの知床を求めてリピートしてしまうのかもしれませんね。

惚れちゃう、そうかも、ですね。
恋する、のではなく、生き方やものの見方の指針のような。
沖縄の仲村氏もですが、どこを漕ぐか、なんてあまり関係なくツアーに参加するのは、ガイドさんに会いに行くという側面もあるのかも。
今回わたしは「知床を」漕ぎたくて参加しましたが、このツアーのリピーターの多くは「新谷さんと」旅したくて来るのではないかな、と思います。

これとは違う意味で恋もしたいが。。。

投稿: 8 | 2009年9月 4日 (金) 23時46分

オホーツクの旅、楽しませていただきました。
私だったら新谷さんに“惚れちゃう”なぁ。(笑)
帰ってからしばらくは目がハートになって、周りの友達に熱く語ってますね。\(☆o☆)/!

投稿: KEEMYAN | 2009年9月 5日 (土) 09時04分

ユーコンでガイドをしている友人が、
「ガイドはお客さんの憧れの対象にならなければいけない」みたいなことを言っていました。
新谷さんも仲村さんも、人として、生き方として、憧れます。
是非、次の時はご一緒に!>KEEMYAN

投稿: 8 | 2009年9月 5日 (土) 22時53分

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