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2009年7月 8日 (水)

「よろしくおねがいします」考

読者のみなさん、子供の頃、授業の始まりに教えてくれる先生に「よろしくお願いします」と声をそろえて言ってましたか?
今の職場では、これをきちんと言わないクラスはその担任に指導力がないって(しつけがなってないと)いうような風潮が感じられるので、異動してきて4年目の今年は迎合しています。

子供が、その時間に学習することがわかっていて、チャイムと同時にそれぞれがやり始めている、っていうのが理想だと、教わって、そういう授業をしようと一生懸命になってきました。
もちろん学習内容によって、一斉に話を聞いたりする場面もあるわけで、全てがそういうわけではありませんが。
例えば作文を書く学習なんかは、個々が作業を始めているのに、わざわざ、姿勢を正させて、
「これから○時間目の学習を始めます、礼」「よろしくお願いします」なんていうのは、
子供の思考を止めることになると思うのです。
そして、授業は、教師が一方的に教え込むものではないから、少し譲って、
「よろしくお願いします」の代わりに「はじめましょう」と挨拶をしていたこともあります。

部活での「よろしくお願いしますっ」っていうのは全く違和感がなかったから、
自分の中では、運動の時は、安全の面からもきびきび行動することも目標だと思い、
体育の時だけは、体育会系で、大きな声で「よろしくお願いしますっ」とやらせていたので
一貫性がないといえばないけれど。。。

従順な子供に慣れてしまっていいのだろうか、という意味で書き留めてみました。
お願いします、という心が子どもの中に自然に生まれるような授業がしたいし、そういうせんせーで
ありたいけれど、思ってもいないかもしれない子どもに、強制的に言わせるのは違和感があるのです。
礼儀は教えなければわからないとも言うけれど、
子供より権力をもっている(はずの)大人で、その上教師が、権力で感謝させるの図、が耐えられないのです。
でも、今の職場では誰も疑問に思っていないみたいだし、世の中が変化しているから、
わたしが新人だった頃とはわけが違うということなのか。

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コメント

子供の思考がとぎれようが始めと終わりはしっかりシメル!で、いけないのかしら。考え事してるから朝の挨拶も出来ないような大人が育つよりかは良いと思うのです。

礼儀は権力とも関係してくると思うしそんなフラットな関係は非現実的ではないかなぁ。教育者でもないのに生意気言ってスミマセン。

投稿: タカバシ | 2009年7月 8日 (水) 06時24分

私が小学生の頃はそんな挨拶なかったですね。(広島の頃です)
それが、中学生になってから、「起立」「礼」「着席」を毎回やるようになってチョットお姉さんになった気がしました。
何にも考えず、やってましたけど、反抗期になるとやりたくなくなるのである意味バロメーターだったのかなぁ?
なんて、8さんの日記を読んで思いました。

投稿: KEEMYAN | 2009年7月 8日 (水) 10時39分

うわっ、なつかしっ。
そういうの、小学校5年生くらいの時に突然始まったんだけど(岐阜市)、「頼んでねーよ」ってことで、クラス男子の大半が拒否でしたね。(女子も多々)
私は学級委員でしたが、そりゃもう、率先して拒否。
結局、どうなったんだっけかなぁ。うちのクラスは中止になったんだっけか。(苦)
中学行ったら、起立、礼、着席になってて、混乱はなかったような。(市立でしたが小中全もちあがりだったけど)

投稿: あきらけい | 2009年7月 8日 (水) 11時41分

たしかに、言葉の意味からすると違和感は感じます・・・

でもそれが、授業始めの挨拶代わりになっていれば、強制的とまで思わずに決められた事と・・・

それに対して生徒側から、意見が出て来た時はぜひ対応してあげたいですね!

投稿: tome | 2009年7月 8日 (水) 15時00分

物心つくかつかないかの頃から剣道を習っていた私は、師匠が何も言わなくても、先輩と息を合わせて「礼」をすることを、当たり前のように過ごしてきました。
言葉を発せずとも「礼」をすることに、相手を敬う日本人の奥ゆかしさが残っていると思っていました。
言葉を発することによって、その奥ゆかしさがかえっておかしな方向に行ってしまっているような気がします。
「よろしくおねがいします」が、まるで、社交辞令のように感じたのは私だけではないと思います。

投稿: とと | 2009年7月 8日 (水) 20時05分

あ、ひかるたちだと授業の前にはいろんなパターンがあるそうです。(。・w・。 )

投稿: とと | 2009年7月 8日 (水) 20時09分

小学校でまずやったことは「きりーつ、れい、ちゃくせーき」だったような気がする。
「よろしくお願いします」に違和感があるというのは理解するけれど、やっぱり時間になったらきちんと挨拶して時間が来たらきちんと挨拶するってことは大事だと思います。

#社会人になっても出来ないやつの多いこと多いこと・・・

投稿: ゴマ | 2009年7月 8日 (水) 22時48分

みなさんのコメントを読んでいて、自分の中で、何が違和感なのかがもう少しはっきりしてきました。

ブログに書いてみてよかったな、と思います。
どうもありがとうございます。

けじめをつけるというのは教えなければ意識されないから、学習の始めにあいさつをするのは教えなければならない。そして、声を出してあいさつをする習慣もつけたい。
そういう意味では、タカバシさんのコメントにもうなづけます。特に小さい学年の時は、繰り返し練習することが必要でしょうね。

授業に限って言えば、ほとんどの子が自発的にその時間にすることを休み時間のうちから集中してやりはじめている時は、挨拶をはさむのはナンセンス。だから思考がとぎれないように、ある程度学習を進めさせてから、次の展開に入るなどの工夫をしたい。

違和感があるのは、「よろしくお願いします」と声をそろえて言わせるということです。

あきらけいさんのコメントを読んで、あーわたしもそういう子供だったなあ、周りにもそういう子がたくさんいたから、そういう思いをさせないで(強制じゃなく)心に訴えていきたいのだな、と思い当たりました。

そして、ひかるちゃんの例についてで、自分もいろんなパターンでやってきていたな、と思い出しました。
今までの中で、わたしが一番しっくりくるのは、
代表の子(日直など)が「これから◯時間目の◯◯の学習を始めます」と言ったあとで、
みんなが「はい」と返事をして、黙礼する、というのかな。小さい子だと、ここで「始めましょう」と言わせることもあります。

そして、ととさんのコメントから。
心を育てたいのに、形だけのものがあまりにも多いから、慇懃無礼な人が増えてしまうかも、と感じました。(学校教育の弊害!?)

わたしがしっくりくるやり方が、「よろしくお願いします」と何が違うんだ、という人もいるかもしれませんけれど、強制的に感謝させる、みたいなのが一番嫌なところです。心のこもっていない言葉だけのやりとりが嫌だということでもあります。書かなかったけれど、このパターンは、授業の終わりは「ありがとうございました」になるわけです。こっちの方が本当に違和感があります。感謝したい子は、黙っていても「先生今日のわかりやすかった」とか言いにくるものですから。

反面、学級の子供を自分の子ども、と考えているから、他の先生(特に外部からお招きした方など)の授業では「よろしくお願いします」やお礼を言いなさい、という指導を入れるわけです。

あいさつについては、おはようございます、やさようなら、もかなりしつこく学校全体で指導していますが、よく聞こえてくるのは、朝交通指導にたっている地域の方にはあいさつをしないで素通りするのに、そこに先生が歩いてくるとみんな先生にはあいさつをする、ということです。

こういうのは、指導が成功しているとは言わないですね。

いずれにしても、授業の始まりに、教科書など使うものをしっかり準備して、さあ始めるんだ、という気持ちにすることは大切だと思っています。そのための儀式が必要な場合が多いのかもしれません。そういう儀式をしなくても学習に集中できる子供が理想だと思いますが。

投稿: 8 | 2009年7月 8日 (水) 23時01分

ちょっと出遅れ感もあるのだけど、最近感じていること。会社でも、若い連中(という表現にはちょっと違和感もあるのだけど)の「待ち姿勢」が強いように思います。一から十まで指示しないと動けないし、周囲と違うことはしたがらない、だから自分の発想で仕事ができないんですよね。

情報セキュリティなんて仕事をやってて、情報漏えい事故なんかが起きると、次から規則がどんどん増えていきます。なんとなく会社の規則というよりは学校の校則みたいな感じ。

このまえ、実行委員をやっているイベント(これは、プログラミングや情報セキュリティに秀でた若者を育てようというキャンプなんですが)の打ち合わせをやっていて、イベント参加者に周知するルールを見直すことになったのだけど、問題が起きそうなことを全部、禁止としてリストアップするときりがないし、じゃぁ、ルールに書いていないからいいのか・・というような、いわば思考停止を招くことにもなりかねないので、リストアップは最小限にして、なぜそれがダメなのかという心を教え、自分で判断できるようにしよう、ということになりました。

相手が中学生以上大学生までという範囲なので、小学生とは違いますが、いわゆる、しつけの段階が過ぎたら、抽象的な倫理観や動機から自分で個々の善悪、ふるまいを考えていける力を身につける必要があると思っています。

いろんな子がいるので、このイベントでも毎年試行錯誤が続いていますが、教えるほうがあきらめずに続けていくことが必要なんじゃないかと思うこのごろです。

投稿: 風見鶏/ま | 2009年7月11日 (土) 07時24分

ずっと、コメントしようかどうかまよってたのですが。。。

私の場合、よろしくお願いします&ありがとうのセットって、相互礼的なものがあります。
生徒から先生へ、というやりとりではなく、その教室にいるすべての人、すべてのかかわるものへの言葉、という解釈で。。。

授業は先生から知識を与えられるものだけではなく、生徒どうしで学びあい教えあうグループ活動もあるし、実験には時として植物や動物など物言わぬものたちの犠牲をしいることもあるかもしれない。
先生も生徒から日々学んでるのだし生徒たちが元気で学べることで自分の存在している意義がある(?)。また、今の子どもたちはそんなこと考えることもないとおもうけれども、何不自由なく勉強ができる環境があり、時間がある、それらは自分たちがかちとったものではなく与えられているものである。
そういう万象に対する感謝の気持ち。それを言葉にして唱和することによって、身につける、というような。

いまの学校でされている始業終業の挨拶については、そのような含みはないのかなあ?
理由も説明されず理解することもなく唱和を求められてるだけだったら、もしかしたら疑問や反発を感じてやりたくない子どもたちもでてくるかもしれないし...。
私が生徒で、「この言葉は先生に対する感謝のものでいうのがあたりまえ!」と指導された日にゃ、ぜったいに口にしないと思いますがぁ~(笑)


それでも、できれば、
おねがいしますとありがとうを唱和するのは朝晩だけで、
時限と時限の間は
「起立、礼、着席」だけでよいかもー、とおもうのでありました。。。

投稿: P | 2009年7月13日 (月) 03時57分

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