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2008年6月 8日 (日)

哲学的な夕方

 この週末は品川神社の祭でした。きょうは出勤し、帰りにパトロールがてらぶらぶら。お参りする人が並んでいました。日曜の夕方で、祭の終盤で、なんとなくもの悲しい気分になるかな、と思ったけれど、陽が延びて明るいのでそうでもありません。自宅付近に着いた頃やっとあたりが暗くなり、ちょっと冷たい風が肌に心地よく、iPodから流れるイーグルスがせつなさを盛り上げてくれました。

 日中は汗ばむ陽気でも日が落ちると空気の温度がぐっと下がる季節が好きです。学生の頃暮らした町は、真夏でもそうでしたから、窓を全開にして夜の空気を感じながら、冬用のふとんをかぶって眠るのが好きでした。今は、これをやると、必ず朝のどが腫れているのでやめましたが、きょうのような夕闇をふらふらすると、学生の頃の眠るのが惜しいような幸せな気分がよみがえってくるのです。
 
 先月、大先輩から是非お読みなさいと紹介された「悩む力」(カンサンジュン著)をやっと読み終えました。前半は、ちっともおもしろさがわかりませんでしたが、後半は、心に響くフレーズがたくさんありました。読み終えたとき、仕事にも、日常を生きることにも、あーそうだな、自分が気になることはどこかでみんなつながっていて必然なんだなと妙に納得しました。
 漱石とウェーバーを取り上げて書かれています。「まじめたれ」。まじめさは宝物だと改めて思いました。「愛とは、幸せになることではない」ここだけ取り出すと、ちょっと乱暴で分かりにくいですが、愛することの目的は幸せになることではなく、お互いの問いかけに答えようとするが愛で、そのありようは変化していくのだということです。愛はコミュニケーションそのものということなのだと、私は理解しました。愛に関する章を読んで色々考えたのですが、言葉にしてみるとしっくりこないと感じるものばかり。これって今現在恋愛から遠ざかっているからなのか?
 無差別殺人が起ることの意味なんかも述べられていて、これまた納得していたら、秋葉原で大変な事件が起っていました。

 

 
 

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