2021年10月19日 (火)

ネリと浜マーケット

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急に気温が下がり風が冷たくなった昨日、ちょっと長めの散歩がてら国道16号ぞいにある浜マーケットに初めて行ってきました。雰囲気は沖縄のマキシ公設市場風。ドジは一本だけで国道と旧道を結ぶ間だけだからとても小さいけれど、私的にはとっても気に入りました。そして野菜、肉が安い!肉屋さんでカレーパンとナスの挟み揚げを買って、八百屋さんで、野菜各種。全部で千円でお釣りが来ました。そして、ネリ!青ヶ島で育てている方がいていただいて食べたオクラ。星形にかくばっておらず毛羽立ちが少なくてつるっと丸い感じで大型のオクラです。味が濃くてシンプルに茹でてマヨネーズつけて食べるのが最高だったのですが、なんとこのようなオクラが売ってました。さすがにネリとは書いてなかったけれど、懐かしくて手に取り夕食で食べました。最初はずいぶん大きいのねとこわごわだった母も、美味しいと箸が進んでいました。両親がこの地に移り住んでもう20年以上ですが、浜マーケットはいつも車から眺めるだけでしたが、散歩と買い物にまた行くことにします。歩くのは苦じゃないから、と言い続けていた母ですが、最近は、歩こうと誘うと、ちょっと億劫がる様子があるので誘いにくいです。母が時々歩いていたコースよりちょっと先だったのですが、浜マーケットに行ってみたいといって歩かせてしまいました。母も初めて中に入ったそうです。そして、いつだか火事があったことをずっと話していました。中は古いお店もあったので火事で焼けなかったところもあるのだと思います。こういうお店がどんどん姿を消してどの駅で下りても知っているようなお店が立ち並んでいるのは味気ないので、いつまでも残って欲しいと思います。

散歩の後は担当のケアマネージャーさんとの定例の面談でしたが、ケアマネさんも浜マーケットのことをよくご存知で、私たちが買い物をしたほうじゃないもう一つの八百屋さんがすごく新鮮で安くていい、と教えてくれました。もちろんそのお店も冷やかしたのですが確かに安かった。A4くらいの大きさで深さ10センチくらいのパックに入ったミニトマトが500円だったから。。。ちょっと量が多すぎてやめてしまったのですが、今度は妹たちと分けるなど工夫して買ってみようと思います。そして、お肉やさんのハンバーグが絶品だそうです。キャベツやにんじんが添えられて大きなハンバーグが1個入ったオパックがたくさん並んでいたので人気商品なんだと思います。これも次回買ってみようと思います。実家j通いの楽しみが増えました。

調べてみたら火事は2007年のことでした。その後復興に地域ぐるみで努力されているようです。近くに大型のショッピングセンターもあるのですが地元の人に愛されているようです。そして、戦後の闇市が発祥で、古くは美空ひばりさんのお父様がやっていた魚屋さんはここにあったとか。

(写真は横浜で暮らそうHPより)

 

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2021年10月13日 (水)

20211008−1010 立山

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10月7日

我が家に妹夫婦がやってきて、仮眠。ラテ号(車)で初めての本格的遠出だが、義弟と妹が運転できるので山道アンド高速教習付き山歩き。朝食としてナポレオンサンド風ホットサンド、昼食用に新米でおにぎりを6個、ゆでたまご、ひめきゅうりのタタキを作った。睡眠時間が1時間になってしまったが、午前2時45分出発。

10月8日

6時半ごろ扇沢着。8月に剱岳(悪天候により剱山荘までで退散)に行ったときはがらがらだった無料駐車場は満車、かと思いきやラッキーなことにでかい車が諦めた狭めの1台分を確保して駐車できた。靴を履き替え、いざターミナルへ。

アルペンルートは事前にWEB予約しておいて正解。窓内は長蛇の列。アルペンルート9470円也。7時30分のトロリーバスに乗車して9時すぎに室堂着。室堂で水をくむ。

天狗鼻から獅子が鼻を軽油して弥陀ヶ原へ下るコースを歩き帰りはバスで室堂に戻り雷鳥荘へ。

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夜は、雷鳥荘で働く友人と一杯。翌日のコースについてアドバイスをもらった。私たちは雄山だけで降りてくるか、真砂岳手前の大走りを降りてくるコースを考えていたが、別山乗越から新室堂乗越まで行って降りてくるコースでの立山縦走を勧められ、みんなの体調などを見ながら途中で降りてくることも考えつつ一応縦走を目指すことにする。

10月9日

雄山の登りでかなりヘロヘロになったのは自分だった。妹たちは、もうここで降りようと考えていたそう。雄山神社にお参りして、大汝山へ。ここでおにぎを食べたらかなり元気回復。実は、朝ほとんどお腹が空いていなかったのでごはんをほんの一握りしか食べてなかった。出発前の睡眠不足と(最近は眠らなかった翌日ではなく翌々日に疲れが出るようになって。。。)パワーチャージ不足がダメだった模様。大汝山からは黒部湖がきれいに見えた。そんなわけで、大丈夫だから、と縦走を決めて歩き始めた。富士の折立は、天辺まで登らず。(次回にとっておきます)そして、別山山頂はスルーして御前小舎まで。ここで残っていたおにぎりを食べて、新室堂乗越経由で雷鳥沢へ。そして最後の登りをがんばり雷鳥荘へ。ヘロヘロ。

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10月10日

なるべく早めに帰りたい事情があったけれど、3、40分で歩ける道が一つある、と友人に言われ、雷鳥沢から沢を渡り真砂岳方面へ。一ノ越へと繋がるルートを室堂立山山荘方面へ向かって室堂ターミナルへ。「神の道」と呼ぶそうであるが、この辺りの高度だとチングルマの綿毛と葉の赤がまだ鮮やかで逆光の立山連峰シルエットを眺めながらほんとうに名前の通りの気持ちのよいトレイルだった。

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今回の目的の一つは長距離、高速運転だったので、扇沢から双葉まで運転。エンジンブレーキの使い方に慣れた。高速は最初はすぐに減速してしまったり、車線変更に課題ありだったりしたが、徐々に慣れ次への意欲が湧いてきている。

中央道で玉突き事故があった影響で渋滞したが、渋滞区間は妹が運転し、解消されたあとは義弟が運転して帰宅。充実の3日間だった。M本さんSHさんありがとう!

今回、妹たちが忙しかったこともあり、わたしが計画を立て歩くことになった。雪山やカヤックでも同じだが、やはり主体的に計画を立てると情報が頭に入るし、達成感もある。経験者と行動していると安心感もあるが、やはりこういう緊張感は心地よい達成感をつれてくる。

 

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2021年9月30日 (木)

タイミングとか運命とか

母の介護申請が通り認定された。地域の包括センターで紹介していただいたケアマネージャーさんに、母の要望を伝えながらデイサービスの事業所をいくつかピックアップ。自分でも実家近所の事業所を挙げて、母とともに4箇所見学に行った。

百聞は一見に如かず、抱いていたイメージとは違って明るい笑い声が響く空間で、活動の目的こそ違うけれど、学童保育や児童館、放課後スクールに保育園っぽい面を加えた運営がされているように感じた。見学をしながら、利用者の方の様子とか、コミュニケーション、職員の方の関わり方などけっこうシビアに見定めてしまう自分がいたけれど、全部見終わったあとで母と話をしたところだいたい同じようなところが気に入ったようだったので、本人の意向でお世話になるところを決めた。

母は、自分の認知機能が衰えていくことを日々自覚しているようで、自信をなくし、自尊感情が下がっている。感情はずっとかわらず残っていると認知症関連のどの本にも書かれている。だからm、子供扱いはしないし、記憶が混乱しているだけで、判断する力はまだ残っているようだ。ただ自信がないから、不安で前に進めない。接し方や励まし方は前職でやっていたことと非常によく似ていると思う。やれることはやらせる。そのかわり待つ。迷っているときは前に進めるように声をかける。このあたりはうまくできるが、イラッとしない、またイラッとしてもそれを表に出さない、というのが家族だと難しいと感じる。まだこれから、です。

退職したのは絶妙のタイミングだったようだ。仕事をしながら介護をしている方はたくさんいるけれど、あのまま仕事をしていたらけっこう大変で自分にはうまくできなかっただろうな、と思う。

自分自身の今後のこととしては、少しは稼がなきゃという思いとは別に、何か社会の役に立てることをしたいと思っている。そんな動きの中でちゃんと自分の業績を生かすことのできる道が開けるような感覚があり、やはりこれが自分にとっていいタイミングだったのだと改めて感じるこの頃。自分を卑下しすぎることなくアピールすることを学んだのも、一人一人の相手としっかりコミュニケーションをとることができるのも、みんなこれまで教員としての経験があったからなんです。そして、島でたった二人の教子と3年間濃密な教育活動を行いながら過ごしたことが自分の仕事のまとめであったのだと今はっきりとわかります。

今後、もう少し前に進むために、勉強もしなきゃなあ。そして、何より運動力激減なのははっきりしているので、この秋始めた朝ランを続けます。緊急事態宣言も開けるので、居酒屋8も。走って、漕いで、歩いて、作って、学んで、旅して、飲んで食べて語り合って。自由だなあ。31435097907e72a92bdfc6300d8b48fc34ce2991

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2021年9月19日 (日)

介護ことはじめ(同じようなどなたかのための備忘録的なもの)

実家のすぐ近くに車椅子マークの車が停まっているのを見かけることがあり、以前は普通のお宅だったところが最近は高齢者のグループの施設かなにかになったのか、と気づいたのが数年前。無意識に前を通っていたその場所に母と一緒に見学に行ってきました。

そこは、介護保険制度で、要介護に認定された利用者の方が送迎付きで通ってくるデイサービスを行っている事業所のひとつです。母は、わたしたち子どもが訪れる時以外は、人との関わりがほとんどない状態で暮らしています。コロナ以前は、電車に乗って月に1回は習い事に行っていましたが、コロナで開催中止になったことがきっかけでそれもやめていましました。本人も言葉を忘れてしまう、と話していますが、何日かおきに訪ねて時々泊まって帰ってくるだけでも、認知機能の衰えを感じる出来事がたくさんあります。そして、何より外出しなくなったので運動不足。太ることはない家系のようですが、運動しないから認知機能も衰えるし、食べることにも他のことにも意欲がない。家族以外の人と会う場所を探そうということで、動き始めたのが初夏に差し掛かる頃でした。

地域で行われている講座などの中から、母の意向に合わせて合唱か健康体操に入れてもらおうと、まずは地域のケアプラザに電話をしてみました。話を進める中で、今後のことを考えると、自力で通うよりも、介護申請をして認定を受けた上で、送迎付きで体の様子を専門的な目で見て家族に連絡してくれたり、リハビリ的なことをしてくれたりするサービスを利用することを勧められ介護保険の申請をしました。

老人性の鬱だったであろう時期があったり、父が亡くなって一人になったり、コロナで行動範囲が狭まったり、していましたが、衣食住の生活は補助なしでしているので、なるべく環境を変えないでできることはやってもらい、その代わりすこしずつサポートを手厚くして対応していこうと考えていました。だからまた介護認定などは少し先のことかなあと。

6月中旬に地域包括センター(ケアプラザ)に初めて電話で相談。上記のような内容のことを言われる。

6月22日母を連れてケアプラザへ。認知機能の診断を受ける医療機関を紹介される。

6月29日クリニック受診→2週間後に再診(薬の様子をみるため)

7月6日役所の方が書類申請のための聞き取りに来訪。母に質問をして話を聞いてくれたり、知能検査のような雰囲気の認知機能を調べるテストを少し。申請した結果が郵送されてくるまでに1ヶ月ほどかかるとのこと。

9月10日介護認定の結果が郵送されてきた。ケアマネージャーさんに心当たりはないので、家族と相談してケアプラザで紹介してもらうことにする。また、要介護1。週末に今後できることや手続きなどを調べる。デイサービスの事業所を決めることになることがわかったので、以前いただいていた「ハートページ」やネットで情報を集めるが、入浴とかは今はできているからいらないのではないか、とか身体機能はあまり問題がないので果たしてこれらのサービスが母に合っているのかどうかわからない。(この段階では自分でさがさなければいけないと思っていた。)

9月13日ケアプラザ担当者に認定結果を電話連絡し、ケアマネージャーさんを紹介して欲しい旨伝える。同日中にケアマネさん紹介してくださる。ケアマネさんからも電話連絡があり、訪問して書類を作る日程決定。

9月14日ケアマネージャーさん来訪。書類作成。母の話を丁寧に聞き取ってくださる。デイサービスの事業所のパンフレットをたくさん持ってきてくださった。自分たちで決めるのではなく、利用者である母の状態に合った事業所を紹介してくれるので、まずは見学して気に入ったところに申し込むという手順で進んでいくとのこと。パンフレットを見ながら母と見学するところをいくつか決めた。見学の申し込みもケアマネさんがしてくださるとのこと。自宅のすぐ横にある事業所については紹介されなかったので、こちらから話してリストに入れてもらった。

9月15日見学を申し込んだ事業所すべてから電話が入り、見学可能な日程などを提示された。母と見学予定を立てる。

コロナ禍の影響と思われるけれど、申請してから結果がくるまでにかなり2ヶ月かかった。現在2カ所見学に行ったところ。見学してみて、児童館(学童クラブや放課後スクール)の運営の仕方とよく似ているという印象を受けた。母も事前にもっていたイメージとはまったく違っていたそう。1つの事業所では体験参加させていただき、久しぶりに家族以外の方とおしゃべりができて楽しそうにしていた。どの事業所でも利用者の方が「楽しいわよー」「待ってるわ」と声をかけてくださりありがたかった。

 

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20210915朝ラン

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今回はマスクを忘れずスタートしました。当面20分走ることにしたので、アプリ「ナイキラン」を前回と同じ初めてのランにセットして走り始めました。目標は、カヤックのゲレンデの公園の早朝の様子を見てくることと、20分走り続けること。うちの周りは味気ない道路ばかりなので、その中でも良い道を探すこと。以前走っていたときのコースは海方面ではなかったので、新たにコースを模索することにしたのです。

そんなわけで、軽く準備運動をしてから目的地の人工浜方面ということで西に向かいました。前職でも冬場は5分間走をしていたし、カヤックでも山でも、わりとゆっくりペースなら、最初から最後までバテずに運動し続けることが得意なのはわかっています。だから、体感で自分のペースで無理なく20分あまり歩いたことのない道を20分走りました。お兄さんのガイド音声が完走を称賛してくれたところで止まって、大きな道路に出てみると、目的地にしていた公園よりかなり西、ほぼ蒲田まできていました。車で通る時はまだ「近所」とは思わない場所です。まあいいや、とそこからは、歩いて人工ビーチの公園へ。そしてそこから自宅まで歩いて戻りました。最近朝ドラ「おはようモネ」を見始めたので、走ってモネを見ながらコーヒーとパン、なんて思っていましたが、既に終わっている時間でした。1時間半もかかってしまいました。

おまけに、走り終わるまではなんともなかったのですが、歩き始めて30分ほどたったら左の股関節の後ろ側のお尻の筋肉とハムが痛い。歩道で止まってはストレッチしながら、汗だくになって戻ってきました。自分の無計画さにあきれますが、おそらく20分走れば人工ビーチまで行かれるので、次回からはそのようにします。海を見ると自然に笑顔になります。

このあたりは昔は海苔をとっていたところです。竹馬みたいな下駄で海に挿した竹についた海苔をとっていたそうです。このあたりから埋立地の先端の方までたくさん公園があり、キャンプができるところもありますが、今は閉鎖されています。

足腰の筋力もですが、肩甲骨周りと肩まわりをゆるめることと、全身の連動を意識してスキーとカヤック にもご利益がありますように!!1

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2021年9月11日 (土)

20210910 ラン

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母の安否確認も兼ねて、毎朝電話をもらうことにして早3年以上。毎日5時にかかってくる。わりと朝早く出る仕事をしていたので好都合でした。アルバイトがないと、さすがに早すぎて二度寝してしまうこともしばしばでしたが、友人たちの”run done”のつぶやきに促され、体力維持のために走ってみることにしました。まずは速さより一定の時間走ることにして走る人用のアプリをダウンロード。2011年に10キロのレースに参加したときは、アイポッドナノでやっていましたが、今はすべてスマホですね。ただ、スマホは重いし大きいので腕につけるものとか、何か用意しないとポケットではとても走りにくかったです。ナノにもどしてしまおうか、と思うくらい。ナノは小さくてよかったから。

いつものトレーニングウェアで外に出て走り始めると、なんかいつもと違う感じ。あ”ーーー!マスクをしていない!!朝だったのでまだあまり人はいませんでしたが、それでも駅に向かう人がちらほら。俯いて隠すようにして一旦家に戻りました。エレベーターに乗ろうと思ったら人がいたので、階段で。マスクをつけ、再出発。アプリを停止し忘れたのと、ロスタイムが発生したのとで、コースを変更してほんの少しだけですがまずは踏み出すことができました。ナノにも入っていたナイキランというアプリを使いましたが、今のは、爽やかなお兄さんの声でずっとしゃべりかけてくれるんですね。これは続くなあ。トレーニングに通いながら週3回くらい走れたらいいと思っています。まずは20分からでした。

画像は、お世話になっている美容室のサービスでいただけるもの。最近は、美を体全体で捉えるようになっているみたいですね。

 

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2021年9月 9日 (木)

20210909  手紙

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1週間ほど前、手書きの手紙とはがきが同時にポストに届きました。1通は遠方にいる学生時代の先輩から。1通は元同僚の後輩から。どちらも手書きで、すてきな切手がはってありました。顔や声が思い浮かび、温かい気持ちになり、再会を約束する言葉にいつになるかわからないけれど会える日が来たら絶対に会いに行こうと思うひとときでした。

ポストに入っているのは、「家を売りませんか」とか「不用品買取ます」とかのチラシ、水道修理のマグネット、定期購読している冊子、サザンのファンクラブ会報、カードの利用明細、その他の広告がメインになって久しいけれど、毎日チェックしないと溜まってしまうから帰宅時にはポストを開けるのが日課でした。ところが、コロナ禍になり、ポストに入るものが郵便やメール便のみになり、ポストはすっきりしていますが、反面友人と会えないのでものを送りあったり、思いがけない贈り物が届いたり、そんなやりとりが少し戻ってきています。

転勤で引越しの多い子ども時代を過ごし、大学から一人暮らしを始めた自分にとって、手紙はいつも身近な存在でした。携帯電話やメールがなかった頃はしょっちゅう手紙を書いていました。社会人になり、忙しくなると手紙を書くことがぐっと減ってまもなくメールやパソコン通信、チャットやSNSが次々と身近になり、その即時性や同時性が面白くて手紙とはどんどん疎遠になりました。

子どもを言葉の使い手という側面で考えたときの、教育的なアプローチを長いこと考えていましたが、育ってほしい将来の姿として、生活のなかでちょっと手紙やはがきを書くような人、というのがありました。今の時代には合っていないと思いますが、自分は少しずつメールより手紙に戻っていくような気がしています。時代の流れにのって、各種SNSも楽しんできたし、今も楽しんで便利に使っています。この人にはこのレターセットを使おうとか、今の季節ならこの切手を使おう、とか考えるのもまた楽しいです。気に入った記念切手が発売されると収集のためではなく使うために買ってストックしていました。今も手元にきれいな切手があります。今の郵便の値段に合わせて切手を組み合わせたり追加したりして使っていますが、手書きで手紙を書くことの豊かさを改めて感じるこの頃です。

 

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2021年9月 8日 (水)

20210908 フレ幅

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昨日は、本章スタート第一日としては、まずまずの1日だった。

家事をしたあと、実家で昼食を作って家族で食べ、その後帰宅して、すぐにトレーニングへ。

島に行く前にやっていたトレーニング。当時体幹やバランスがかなりよくなっていたのですが、島生活、戻って落ち着くまで再開できずにいたらコロナ禍で中断。退職してからカヤック旅に向けて再開。経済的なことを考えて以前はほぼ週1で通っていたところ2週に1回にすると、毎回行くたびに、息が上がる始末。そして、動きのポイントなども忘れてしまい、思い出すことで時間をとられていることを自覚。そこで、家で少しやろう、と思い立ち、バランスボールやストレッチポールに乗るようにしていた。ところが、オリパラのアルバイトが始まってから、なかなかやらなくなってしまい、また振り出しに戻っていた。バイトが終わったので、自分の弱いところをほんの少しやるようにしたら、昨日はその成果を感じることができた。モチベーションアップ。しかし、足裏にしっかり乗って立つという人間の基本のところが鈍っている。これを回復させないとスキーもぼろぼろだろう。トレーニングに通いながら家でも細々と続けるようにしよう。

写真のイケメンたちは、C.I.A(キューブ・インフィニティ・アーティスト)のもの。
2019年夏にたまたま出会った、「ぼくはまだ君を愛さないことができる」というドラマですっかりファンになってしまった白洲迅という俳優が所属する事務所の若手俳優男子のグループ。白洲迅を応援している中で知り、イベントや動画を見ているうちに、いわゆる箱推し(グループ全体を応援すること)になった。甥を応援するのと近い気持ちで見守っていたが、どうやら「担任」の方が近い気がしている。このグループ内でのオーディションの動画をみたりすると、競争はある意味大切なんだなと思うが、それ以上に、一人一人の表現に対するキメ、コミットの度合いやヴィジョンの有無を見て、表舞台を見て、ほんとに一人一人の個性に合わせてがんばれーという気持ちになっている。年末に総出演のライブ(みんな俳優なので、俳優がやるライブというところにこだわりがある)が無事開催されることを祈っている。白洲迅、ブレイクする、する、と言われ続けているけど、今後どうなるのか見守りたい。いずれにしても、自分が、こんな風に沼にはまるとは思っていなかった。以前THE X-FILE(海外ドラマ)にハマって主演俳優を好きになり、英語のサイトも巡回していた頃以来のことである。この時も、ケーブルテレビで早朝に放送されていた字幕版と吹き替え版を連続で見てから仕事に行っていたのを思い出した、意外とオタク要素あったのかも?

 

さて、本日のメニュー

キッチンの掃除 本の整理(昨日できなかった) 美容室 手紙に返事を書く 友人のプレゼント発送 

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2021年9月 7日 (火)

20210907 

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オリパラの選手村ダイニングでのアルバイトが終わった。

SNS、写真NG。守秘義務もあったので多くは語れませんが、自分としては労働というものについてたくさんの気づきがある2ヶ月だった。

自分で時間割をつくる日々の序章が終わった感覚である。

ヒールフリーのテレマークスキーは、板をしっかり踏めば楽ちんで楽しくてなおかついろんな斜面に対応できる、でも時には前にも転ぶ不安定さもある。退職して自由の身になったこの生活はヒールフリー的要素も自分で行き先を決めて出るも出ないも判断して自分で漕いで進むカヤック的要素もある。

きょうから、本章に入るような気持ちで暮らそうと思う。

きょうのメニュー

1洗濯 2車 3実家 4車 5トレーニング 6役所 7本の選別 8研究会の確認 9読書 

画像は本文と関係ありません。なんでもない日常こそ大事だな、ってことで。

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2021年5月11日 (火)

人とのつながりで心は動く

仕事を辞めたから元8組の話題もなんだかなあ、と思いますが、ひょんなことから、教え子の名前を見つけてコンタクト応援しているよ、とメッセージを送ったらお返事がきました。

櫻井愛子さん。声楽家。とっても歌が上手でしたが、国際的に活躍するようになっていました。いつか演奏会に行こう思います。

そして8組だったころの櫻井さんを思い出す動画を見つけちゃいました。→声楽科体操

いとこから教えてもらった山中惇史さんのピアノリサイタルのことを思い出して、音楽は、演奏そのものだけではなくて演技(?)パフォーマンスも含めて演奏なんだなあということを改めて感じます。

とてもゆっくり、物事をひとつひとつ進める毎日なので、まずは、家。その次にアウトドア、言葉と音楽。

 

 

 

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2021年5月 9日 (日)

ミクロな1日

模様替えという名の断捨離と大掃除が完了しないと次の行動に行かれないんだなあと思う。

人はマルチタスクで行動を処理しているのでなくて、マルチに見える人も切替を素早くしているのだそうですが、そうなんだろうなと納得できます。どうしてもしなければならないことは別として、手をつけ始めてしまったことを完了させてから次に行きたいのです。もっとマクロな目で見て整えればいいのですが、今日はほんとうにピンポイントに掃除をしてけっこうな達成感を味わっています。

重曹ってすごい。

島に行くまで、重曹とかクエン酸とかそういったものは一切使用せず、時々大掃除をするときだけ強力な洗剤を買っていました。島で重曹とクエン酸のパワーを目の当たりにしたので、重曹のスプレーをレンジのゴトクに使っています。といっても前回やったのはいつだっけ?って感じでした。重曹のスプレーがなくなったので、煮物に使った粉末重曹を適当に入れて水を入れてしゃかしゃか振ってみたところ。。。溶ける量を調べなかったので入れすぎました。その結果、スプレーの管に粉末がつまって霧が出なくなるという問題が発生。そこで、別の容器に重曹水溶液を分けて水を足すという作業をこれまた適当に繰り返してやっとスプレーできるようになりました。つまり大量の濃い目の重曹水溶液ができてしまったわけです。そこで、これまた収納スペースの片付けをしていて出てきた30年近く前の某大手エステティックサロンの肌を鎮静化させる体用化粧水のでかいスプレーボトル(未開封新品:もちろん中身は捨てました)を再利用して重曹水を入れて、トイレを磨いてみました。なんか一段明るくさっぱりしたような気がします。レンジ周りのタイルにもこれでもかってくらいふりかけてしばらく放置して拭き取ると、こまめに拭いていたのでそんなに汚れていないと思っていたのがうそのように真っ白に。

その後は、バスマット。天然素材の麻紐みたいなもので編んであるマットを使っていますが、これまたよくみるとあまり美しくない。掃除機で埃を徹底的にとって水洗い。重曹は使用しなかったけれど、ウタマロ固形石鹸でちょこっと擦ってシャワーをかけて、乾かしました。捨てて買い換えようかなと思っていましたが、まだまだいけそうです。

そして、玄関周辺の収納スペースを整理。いやー、ビニール傘しかも手動のものが10本もありました。これは処分。島では、ビニールでない普通の傘も消耗品でしたが、傘は壊れて買い換えるというより置き忘れてきて買い換えることの方が多かったです。若い頃はファッションに合わせて使い分けていたけれど、今は軽さ命です。古くて重い傘もまだいくつかあります。靴の収納スペースも、昔父にイメルダと呼ばれていたほど靴が大好きでたくさん持っていましたが、これもかなり減りましたので、靴様の収納スペースに細工をして、先日購入した洗車用の脚立と、キャンプ道具などを運ぶときのガラガラを収めることができました。そして、以前からチマチマとアウトドア用の棚として進化させていたところに手をつけ初めて本日の作業は終了。

夜はハウス食品のスープカリーの匠で久しぶりのスープカリー。ニセコ のカリー小屋のレトルトなど以外で自宅で食べるのは初めてでした。何も考えずにスパイスを全部入れたらかなり辛かったです。1食分ずつになっているので普通のカレーよりもお一人様向けです。

そして食後に、仕事が忙しくてどうにもならなくなった頃から利用している宅配クリーニングMoonlightデリバリーさんに、冬物コートとスーツ類を全て出しました。たぶんそんなに安くないのですが、夜23時まで対応で取りに来てくれて、届けてくれる、ネットで予約が簡単、支払いもその場でカード決済できる、箱詰めなどの必要もない、そして何よりもきれいに仕上がってくる、ところが気に入っています。宅配料金もまとめて出せばかかりません。時間ができたので、安いところをいろいろ調べましたが、宅配クリーニングがメジャーになる前からやっているここで継続することにしました。シンプルでいいです。

 

写真でもつければいいのでしょうが、ちょっとPCの方も問題が発生していて写真が増やせない状況になっています。完全な自分メモです。

 

 

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2021年5月 8日 (土)

むちむち

 

無知だなあ。世間知らず。欠落してるところがある。

毎年届いていた「ねんきん定期便」なんとなく眺めていただけで意味を知ろうとしていなかった。退職したのでお給料から天引きされなくなったので何かしなくてはいけないはず、国民年金になるんだよなあ。健康保険の手続きは職場で手ほどきを受けてやったけれど年金の手続きはなかったということに思い当たり調べはじめた。

家族との会話の中で、年金手帳をみんな持っていることを初めて知る。わたしは自分の年金手帳なるものを見たことがない。両親のを見たことがあるのでどんなものかはわかっている。もしかして紛失してしまったのだろうか?と自分の行動に自信がもてない。大事なものをしまってあるところを見てもない。捨てるわけはないのだけれど。。。。ドキドキ。

そして、「ねんきん定期便」を見直す。基礎年金番号が明記されているけれど、国民年金ではない。業界の厚生年金。国民年金の欄は空白。まさか、働いていたウン10年未納ってことか???? ドキドキ。

ネットでいろいろ調べてみるがよくわからない。そこで、定期便のダイヤルに問い合わせ相談。

結果わかったこと。この業界の人はねんきん手帳が発行されていない。また、国民年金として別建てで支払うことはしていない。ホーッ。住所のある役所の年金課に行って国民年金加入の手続きをしてください、と教えていただいた。本日手続き完了。

自分の能力について考える。

今日は、普通の家事(一日おきに洗濯日と掃除日にすることにした)と退職後一番充実している料理に加えてしたことと言ったら、この年金加入の手続きともう一つ必要な公的な手続きの準備と、海外に送るものがあったのでその梱包と発送。ついでに片付けで出てきた書き損じ葉書を交換。百均ソーイングちょっとだけ。母親とオンラインで会話。テレビドラマ視聴。英語の勉強ちょっとだけ。読書ちょっとだけ。ネットサーフィン。

ちょっと鞭をいれなければなあ。生活時間帯もすこしずつずれてきてしまっているし。

運動もしていない。今のところ、体重は仕事していたときを維持しているが、体脂肪率は少し上昇。週末以外はお菓子は食べないことにしているし、完食もほとんどなし。お酒も毎日は飲んでいない。でも、この運動量だとムチムチになると思われるので要注意です。

時間割を自分でつくって生活する。フリーランスの人ってすごいと思う。

 

 

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2021年5月 7日 (金)

act 1 ルーレット

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退職して1ヶ月と1週間。

無駄に過ごしてはいけない、今日はこれをした、と明言できるような生活をしたい、と思っていた。

理想通りにはまったくいかないが、一歩前へ。これからどう生きるか模索している。

そんな中で気づいたのは、自分のことなのに知らないことだらけだということ。

常に自分にダメ出しをしてしまうということ。

若い頃、好きじゃなかったり苦手で克服したと思っていたところが実は本質としてずっと残っているということ。

周りの人との関わりの温かさ。

 

きょうは、運転のプロに助手席に乗ってもらって首都高速を2時間走ってきました。これまで走行距離1200キロ。ほとんどが実家と自宅の往復で、下道の運転にはだいぶ慣れて余裕も出てきたけれど、高速を走ることができなければ遠出はできないので。

幸いにも隣に乗ってあげる、と言ってくれる人が何人かいて、きょうはその第一回目でした。

C1、C2を向きを変えて2周ずつ。ETCカードも初めて使用。ちょっとドキドキしたけれど、支払い料金の確認はし損ないました。余裕がなかった。途中のPで車を止めて休憩。その際に首都高の全体像を簡単な図に書いて説明してくれました。

合流や分岐、追い越し、きついカーブや渋滞ポイントのアドバイスを受けながら走ってきました。スピードは慣れれば出せるということがわかりましたが、車線変更が急すぎること、左カーブが下手だということが課題です。カーブの走りは、スキーと同じ方向が苦手なんだなあと発見。ここは、下り坂カーブの直後に、常に渋滞しているポイントだから追突に注意すること、などのアドバイスに加えて、路線の説明もしてくださいました。

 

路線を覚えることはまったくできませんでしたが、帰宅して、首都高の路線図を見ながら、今日の説明と全体像がだいたいわかったので、今度は利用してみようかなという気持ちになっています。ナビがあることも大きいけれど、予習してから走ることも大切なんだなと思います。

 

とてもいい天気で、ザ東京 という景色が目の前に広がり、橋の白さと空の青のコントラストが美しく印象できでした。つきあってくださったNさんに感謝。

画像は、最も長いつきあいの友達からお祝いにもらったお花。

 

 

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2021年1月14日 (木)

雪と塩と波

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先日、仕事でアーティゾン美術館に伺い、ギャラリートークを聞いた後で鑑賞。モネの水蓮や、琳派の雷神風神など見応えがあった。所蔵作品を海の波というテーマで展示してあり、大変面白かった。モネの描いた波は、カヤックでは絶対こんな中を漕ぎたくないなあと思わせるような波だった。言い換えるとリアルにありえそうなものだった。日本の屏風絵の波は、デフォルメされた文様に近い表現だったけれど、こんな海にはカヤックは浮かべようとも思わない、というくらいの大海で大波であった。仕事中だったけれど、心が豊かになるよい時間を過ごすことができた。

そして、見つけた絵が上の画像。いろんな意味で親近感を覚えたので写真を撮ってみた。

プライベートでも再訪したいと思っている。

職場から徒歩でアクセス。雪の予報が出ていたので、コロナ禍の中貸し切りで開催してくださることになったものの、本当に行かれるのだろうか、と心配されたが、雨も降っていない。「さすが、私晴れ女」なんて思っていたら、観賞後外に出ると雪がちらついていた。途中から雨に変わった。今シーズン私としては初雪だった。

そして、この日、仕事帰りに途中までウォーキング。その結果、スマホの歩数が12450歩。

実はこの歩数には、職場に到着してから、職場内での歩数は含まれていない。毎日、出勤後は、スマホを身につけていないからである。そんなわけで、美術館に行った翌日、初めて職場内でもスマホを身につけて一日中過ごしてみた。職場内で歩いた歩数は8500歩ほど。意外と歩いているんだなあ。そんなに運動している感覚はないけれどね。

なんか、無理やりなブログだな。まあ、こんなのもありってことで記録です。

 

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2021年1月10日 (日)

自分スタイル

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以前出会った同僚で、定期考査の日と3学期は毎日ネクタイをしめて仕事をするとう人がいた。卒業やその学年の締めくくりである3学期と一定期間の学習のまとめであるテストの期間は、自分も児童生徒たちも気持ちを引き締めることをねらったのだと思う。

新人の頃から、外部の方との予定がある日はそれなりにきちんとした格好で出勤しているが、ここ10年くらいは突然対応しなければいけないことが起こっても対応できる程度の服装を心がけている。置きジャケットも一応用意してある。服装は気分を上げたり引き締めたりするし、気に入ったものを着ていたい。だから、仕事着はこれ、みたいに、職場に着いたら制服を着るように置きジャケットに着替えるのは緊急の場合のみにしている。若い頃は奮発して買ったスーツはここぞ、という日に取っておいたが、最近はなるべくじゃんじゃん着る。家から着て行き特別な不都合がない場合はそのまま過ごす。鬼ごっこくらいならそのままするし、ロッカーの上に乗って掲示物を貼り替えるくらいの軽作業もそのままする。デスクワーク中心ではないし、子どもが動いているし、狭い机の間をペンを持ったまま動くことも多い。だから、ひっかける、ペンがつく、スリットがほつれる、なんていうことはしょっちゅうである。それでも、いいということにしている。(もちろんほつれたところは修理しますし、しみぬきもしますが、それを遅れて着ないという選択はなしということです)

 

島に赴任する時、退職まで島にいようと考え、こちらに戻ってくる時はもう仕事着は使わない生活になると思っていた。だから、好みのスーツなどは全部持って行き、残ったものの多くを友人(とそのお嬢さん)に引き取ってもらった。もうこれで、スーツは買わない、と思っていた。今も基本的にはそうなのだけれど、物欲が下がっているとはいっても街に住んでいると時々衝動的に買い物をすることがある。洋服の場合、仕事以外でもつかえるものを買うようにしているけれど。今まで異動の際に、その時の自分にとってちょっと思い切って手に入れたスーツがある。着倒してやむなく処分したパンツが1本、スカート丈が短すぎてセットでは着られなくなったものがあるけれど、そのほかはすべて健在、今も活躍している。

今年は、今まで以上にきちんとした服装で働くことも続けたいことのひとつである。そして、アクセサリーなどあってもなくてもいいものは省略しがちになっているけれど、仕事に邪魔にならない程度に取り入れて、外側からもテンションあげたい。

子供のいる仕事始めの日、ファッションだけでなく子供に対する自分スタイルを再確認した。どう見られるか、とか、セオリー通り、とかでなく、相手を見ながら考える。泥臭く潔く根気強くやっていくスタイル。考えて決めたら貫く。考える段階でオープンに相談する。そして、おこがましい言い方をすれば、若手に伝えたいことを入れてもいる。

画像は、学芸会の日。裏方なので濃紺で黒子に。

 

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2021年1月 5日 (火)

ことばの力

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新聞は紙面で読むのがいい。

元旦は、のんびり隅から隅まで朝刊を読んだ。いつになく、言葉に関する記事が多かったように思う。コロナで行動が限られ、人々が生活の根源的なところに目を向けているということなのかもしれない。

元旦は、全面広告が多い。広告にはもれなく新年にふさわしいような言葉が並びメッセージがある。記事よりも文字が大きく、少なく、目を引くのでこれも全部読んだ。授業のネタとして、とりあげたくなるようなものがたくさんあった。「あなたは、どの広告が心に響きましたか?」といった直球での教材にもなりそうである。

新年のメッセージに、明るい未来を信じられたり、ほろりとしたり、エネルギーが湧いてくるような言葉をもらった。さらに、やはり、言葉を核にして仕事をしたいし、ずっと言葉に関わっていたいと意識した。

広告。大企業がかなりのお金をかけて、プロが考えに考えた言葉と映像とで作ったイメージ。そう思うとちょっと冷めるけれど、でも言葉のもつ力を改めて感じた。こうやって書くことで自分を整理し確かめているけれど、ブログとして公開することで、心地いい言葉やかっこいい言い回しで言葉に酔ってしまわないように、などごちゃごちゃ考えた元日だった。

 

退職したら新聞はデジタルから紙に戻そうと思う。

 

いろいろ書きたかったこと、の1つ了。

冒頭の画像は、磯子の海。

 

 

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2021年1月 4日 (月)

ぼくにできることはまだあるかい

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島に住んでいたとき、東京の映画館で「君の名は。」を見た。島の子供たちと一緒に上京する機会があり、子供たちのリクエストで見た。美しかったし、楽しめたけれど、感受性が10代のようにみずみずしくないからなのか子供たちがよかった、というほどの感動はなかった。

島での生活が終わり、東京に戻ってきてから、「天気の子」に興味をもったのは、「君の名は。」を見たからだし、どちらもちょっとだけ島がモチーフになっていたからだった。映画を見たい、というより、物語を知りたかったので、本を読んだけれど、映画「君の名は。」以上に心惹かれるものがなかった。それで、映画も見ていなかった。

 

「先生、○年の**先生と同じで、みんなに嫌われてるよ」

昨年のある日、破壊力のある言葉を投げかけられた。いろいろな背景は省略するけれど、さすがに凹んだ。言った本人の意図(があるかどうかも含めて)はわからないけれど、数分後に同じ子が「先生〜、あいつらが、ぼくのことゴミって言ってくる。なんとかしてください」と言いにきたことを考えると、表面的に言えばかまってほしかったんだなあ、と今は思える。その時は、子供と同じところで、人を傷つけることには無神経だけど傷つけられることには繊細であることに憤りを感じていた。それでも、仕事だから、それはさておきもちろん勉強はわかるまで教えるし、雑談だってするわけで、ある日、何かのきっかけで、「天気の子」の話になった。先生嫌われてるよ、の彼が「あれは、絶対本で読むより映像で見たほうがいいよ」と力説した。11歳が言うことだから、誰かの受け売りかもしれないけど、へー、そうなのかー。今度見てみるわ、という会話を交わした。

本日テレビでやってたので見た。彼の言ったとおり、小説より映画のほうがずーっとよかった。わたしの想像力があの世界観についていけてなかったのかもしれない、とも思った。

小説を読んだときは、まだコロナなんてなかったけれど、今の世の中の状況とリンクするところがあるから響いたのかもしれない。よく知っている風景がたくさん出てきたので入り込みやすかったのかもしれない。

新年を迎え、旅にも、雪遊びにもでかけず、友達とも会わず、親の老いと、視野に入ってきた職業人としての終末と向き合いながら、いろいろはっきりしてきた。

わたしにはまだできることがある、と思える自分がいる。職業人としてずっと同じようなことで悩んでいる。若い相棒が「悩まなくなったら終わりですよね、この仕事」と言っていたけど。悔いを残さない。1時間1時間を、一人一人を大切にする。シンプルだけど、これに尽きるような気がする。

 

書くこと(=言葉にすること)も自分にとっては必要な手順なんだな。2021のテーマ:計画することと続けること。

 

 

 

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2020年8月20日 (木)

夏休みおしまい

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 夏休みといえば、旅。最近はその多くが海旅でした。カヤックに食料と水とキャンプ道具を積んで行く旅。南の島に行けばもちろん、そうでなくてもこげば汗をかくし、日焼けもする。それでも、これが夏なんだーーーと夏まみれになっている実感があった。ランチのあとはアダンの木陰でお昼寝をして、攻撃的な太陽を避け、少し落ち着いたころその日の宿となるビーチまで少し漕ぐ。日が落ちる前に寝床を作り、まだ冷たいクーラーボックスに入っているビールやアルコールで適度に体を冷やしながら、流木を集めて火を起こし、夕飯を作る。夜になってひんやりとした砂をソファに火を囲んでおしゃべり。仰向けになって星を眺め、この景色をわかちあいたい人のことを考えたり、仲間としゃべったり。眠くなったらマイペースにそこで眠るのもよし、テントに戻るのもよし。そんな夏休みを過ごすために、今は我慢ですね。

写真は、2004夏ケラマ。今より太いのは若いってことです。

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2020年8月19日 (水)

歩道橋にまつわる話2

ずばり、味噌汁の匂いです。

転勤族で時々この街を離れてはまた戻ったりを何回か繰り返したわたし。

街を歩いているとふとした瞬間に、あ、地元の匂いだ!と思うことが何度もありました。特に、夕方帰宅する途中に、この歩道橋から山も海も見えないけれど、海の方向に向かってうすい夕焼け空を見ていると、ああお味噌汁の匂いがする、とよく思ったものです。

大人になって、またこの街に戻ってきたときに、お味噌汁の匂いは、ビール工場の匂いであったことに初めて気づきました。もちろんその頃は、もうビールも飲めるようになってひととおり、お酒との付き合い方もお勉強したあとでした。毎日感じるわけではなかったので、気温とか湿度とか、もしかすると工場の稼働状況などが影響していたのかもしれませんが、この匂いとごちゃごちゃした景色は地元の象徴そのものでした。

 

その工場がなくなって10年以上たちます。多感な10代前半に、ものすごく好きだった高校生ライフの場が強制終了になり、新しい場所を楽しもうというポジティブさはなく、この街に戻って来て定住するまでずっと心の故郷、心の母校、などといってこだわっていた場所がここでした。創作童話を書いた頃も、この街を離れていてしばしば「出身はどこ?」と尋ねられることがあったのですが、戻る家があるわけでもないこの街が出身地(ふるさと)だと思っている、とよく口にしていたと思います。

そこからさらにかなり長い時間がたって、ものすごく好きだった高校生ライフへのこだわりにもさよならできました。結果として、高校時代は空中分解したまま終わっていますが、それもまた自分の栄養になっています。そして、今、大手を振って地元民です、と言えます。

 

まあ、すでに人生の半分以上をこの土地で過ごしているから当たり前ですけれどね。ランドセルを背負ってこの上を走ってゆらして遊んだこと。大人になってから悲しいことがあるとふらっと行って泣いたこと。大人になってからは、たぶんこの歩道橋を渡ってる人はあまりいなかったように思う。だから、誰にも会わず一人になれて、ちょっと開放感のある場所でした。

ちなみに、ビール工場として「江戸」にあるのはここだけだそうで、江戸前というビールはここで作られていたと記憶しています。ビアガーデンもありました。メニューはべたなフレンチスライポテトと唐揚げと大ジョッキみたいな感じで、提灯が飾ってある、ただの屋上でしたが、地元還元祭りみたいな日がありました。一度だけしか行かなかったんですけれど。

 

この歩道橋は撤去されることを教えてくれた妹から、聞いたのですが、このお味噌汁の匂い、同世代にとっては共通の感覚みたいです。表現のしかたも。

そして、歩道橋の真ん中で眺めるのはいつも海方面でした。

 

そんなことを思い出す夏休みの終わり。

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2020年8月15日 (土)

歩道橋にまつわる話1


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子供のころ通学路にあった歩道橋がなくなる、と聞いて慌てて行ってみました。4箇所ある階段の3箇所はすでに取り壊されていて、もう渡れなくなっていました。最後に渡ったのは、都知事選の日でした。
交差点を斜めにクロスする形のこの歩道橋は転勤族で全国を転々としていた子供時代のよりどころであり、象徴であり、地元を語るときにはずせないものです。

 

学生時代、国文学の授業で童話を創作する課題がありました。タイトルや内容の詳細は忘れましたが、歩道橋の上からの景色をモチーフにしたことだけはずっと覚えています。

片付けをしながら、当時同じ授業を取っていた学生の創作童話集を発掘し、手書き、藁半紙の冊子を開いてみました。

 

作品は思いばかりが先行していて、プロットがしっかり固まっていないひどいものでした。今でも覚えているモチーフがいくつもあるのですが、言ってみれば全部入りになってしまっていて、物語としての魅力が見つかりませんでした。

 

が、お宝発見!

「研究は別といて、創作は若い時ほど豊かな発想を盛り込むことができ有利のようです。創作技法・技術の問題もむろんあります。しかし、より大事なのは、自らの夢をはぐくみ、大きくしていくことです。現実がきびしいと夢が育たないなどと言う人もいますが、そうではなく、きびしい現実を打開するためにも夢が必要なのです。」

この授業の担当だった関口安義先生が、手書きで寄せてくださった文章の一部分です。

 

「きびしい現実を打開するために夢が必要だ」昭和だったころのきびしい現実と、今のきびしい現実は違うけれど、根の部分は同じなのかもしれない。今かかわっている場所で、かかわっている人の夢の種をまいたり、育てたりしようと思う。

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