2018年4月 8日 (日)

333

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エジプトで飲んだビールは333でした。
ビールをネットで探していたら、この銘柄もありちょっとびっくり。味は、特に印象に残っていませんが、島生活3年目、8組構成員3人、父の3回目の月命日ってことで、なんとなくこのタイトル。


8組的な目標は、「最高学年」「最幸学年」。
もしかすると、卒業生を担任するのはもう最後かもしれません。子供の思いを取り入れることはもちろんですが、やりたいことをやってしめくくりたいと思っています。
島の生活面でも、自然を味わい尽くそう、と思っています。
荒天の日以外は、車通勤はやめて、歩いて通勤するつもりです。

先日、島の観光スポットでたったひとつまだ見ていなかった名主屋敷跡に行ってきました。
噴火により全住民が島から避難したあと、島に還り住むことを指導した人のお屋敷の趾です。隣には現在も牛を飼っている方の御宅があり昔ながらの生活が感じられる場所でした。

今年度の目標として、車通勤で体力も落ちていると思うので走ろうか、と思ったのですが、道路を走るよりも、週に一回でも大凸部(島の最高峰)に登るほうが自分らしいなあと思い直しています。なにしろ、島のてっぺんで、360度見渡せるので。


夜のサークル活動の皆勤と、苦手なルーティンワークを続けること、をテーマに平成30年度スタートしました。

追記
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本日、今年度2度目の大凸部山頂、行ってきました。昨夜テレビで見た角幡氏の「極夜」で自然の中にある人間というものを強く感じたのですが、同じ場所に何度も行くことで見えてくるものもあると思っています。今日は、雲が海に映っていました。島の西側が簡単に見られるのはここくらいだと思います。下に見える道は、港に行く近道だったのですが、3年前に崩れて現在通行止めになっています。


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海は荒れていて、船は東京待機2日目です。明日の昼までは東京待機だそう。つまり、明日も船は来ません。これは、港のライブカメラをテレビで流しているもの。釣りをするのもこの桟橋。海で泳ぐのも、画面の一番手前の波で白くなっている部分。島の方が誰もいない今日のような日は、近づいてはいけない、と言われています。桟橋は、濡れると海苔でツルツル滑るので、車ですら簡単にさらわれてしまいます。

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2018年4月 1日 (日)

それぞれの春

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この春島を離れる同僚が全員島を去りました。明日、新しい方がいらっしゃいます。
人はそれぞれ感じ方が違って、どの感じ方がよくて、どの感じ方が悪いということではないと常々思っています。ですが、世間一般と自分はズレているかもしれない、と感じることが多くなったこのごろ。
多様な感じ方をよしとできることと、自分の感じたことに自信がもてないことは何か関係があるのだろうか?
自分の知っている範囲のことから、スパッと感じたことを言える人が多くて、すごいです。
島を離れる乗客がいるとき、ヘリは天候が許せば島の上空を一周してくれることが多いのですが、この春は、風が強かったせいか、ぐるりと一周してくれたヘリはあまりありませんでした。
今日のパイロットは回ってくれて、「おもうわよ」の幕を空に向けて見せました。

島に来て1年目の人が「きょうのパイロットはさすが!かっこいいよー」と叫んでいました。
数日前、島の人が、まっすぐ飛び立ってしまうヘリを見ながら「粋なパイロットが減ったね」と言っていましたが、その思いと1年目の人の発言はまったく重みが違うと思ってしまいます。きょうは、天候もよく、回ってくれたことはほんとうによかったなあ、と思いますが、なんていうか、自分のような島に浅い人間がパイロットを評価したりしちゃいけないんじゃないかと思ってしまう自分がいます。


別にけなしているわけじゃないからいいのですけどね。
人は多かれすくなかれそれぞれこだわりがあって、自分でそこと折り合いをつけて周囲とやっていくことができればいいのだなあ、とそんなことを考える年度はじめです。
さて、もう少し残った仕事をしてきます。
あとで、書き直すかも。

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2018年3月12日 (月)

北に向いて手を合わせる

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横浜駅で◯◯(8の名前)と別れる。いつもとは違って万感胸に迫るものがある。

1月3日に記された父の日記の一文です。
この日は、わたしと両親で横浜のデパートに出かけ、誕生日プレゼントだといってペンダントを買ってもらいました。ここ数年、お正月実家から戻るときに初売りのデパートに寄って、近くのホテルのティールームでお茶を飲んで別れるのが恒例でした。両親も年をとっているので、わたしはそのまま横浜で友人と待ち合わせがあったのですが、改札口まで連れ立って歩き手を振って見送りました。これが私が父を見た最後の姿になりました。
昨年末からお正月にかけて毎日実家に顔を出し、2日、父母と自分でいつもの神社へ初詣。例年と違ったのは、タクシーで出かけたこと。6年前に大腸ガンを患った父は、その後転移なしとのことで元気でした。でも、最近、肺に影が見つかり内視鏡検査を勧められたものの、「今なんともないので積極的な検査や治療はしない」と私たちにも医師にも伝えていました。夏に実家い戻ったときは、まったく普通に元気でしたので、あまり頻繁に連絡もしていませんでした。年末に「便りがないのはよい報せ」ってことでしょう?と何気なく話すと、父が「いやそうでもなくて」と。秋ごろから咳が出ることが増えたといい、駅ではエレベーターやエスカレーターを利用するようになっていました。そして、開胸検査や手術をしない代わりに1月9日にPET検査というのを受けることになったと言っていました。父が医師に余命を尋ねると、一週間かもしれないし、数年かもしれないと言われたとのこと。私がこのお正月の次に帰省できるのは、夏なので、「次のの夏までもつか?」と尋ねたら「なんとも言えません」と言われたと話していました。
私が島に来ることが決まったとき、また、島に来てから帰省するたびに、父は「俺が死んだら、こっちの方に向かって手を合わせてくれればいいから」と言っていました。わたしや母が、そんなこと言わないでよ、と言うと「死に目に会えなかったら(島から来られなかった場合)ずっと一生気にするだろう?お父さんがそう言ってたと思えば気が楽じゃないか。」と。
また、父は、数年前、これから相続の勉強をする、と言って、図書館に通っていました。我が家では、けっこう前から、両親が長期の旅行に行く前には、ここには印鑑がある、とか預金通帳はここだとか、もしも父に何かあったらこれくらいのお金がある、とかそんな話を冗談交じりで家族団欒のときにしていましたので、その延長だ、くらいに思っていましたが、今思うと本当に頭が下がります。
だいたい月一回の旅行と映画やコンサート、週末の囲碁、とアクティブな父でしたが、海外旅行に行かなくなり、山登りをしなくなってできた時間を、身辺整理や相続の準備にあてていたようです。そんなに遠くないいつかのために、家族のことを考えた遺言的なものをパソコンに保存してあるから、と年末に見せてくれました。そして、相続についての本を見せながら、これはわかりやすい、読めばだいたいのことはわかるから、と一部のページをコピーしたものと、父の作ったエクセルの書類を渡されました。その時は、こんなに早く別れがくるとは思ってもいませんでした。亡くなった後に分かったことですが、父の子供の頃からの分厚いアルバムも整理したようで、新しいアルバムに写真を抜粋して貼り直してありました。母が買い物に行っている時間にそういうことをやっていたようでした。
1月4日。
私は予定通り島に戻りました。島に着いてすぐ実家に電話をしたとき、出たのは父でした。なんだかブツ切れで電話が切れてしまったのが気になり、買い物に出ていた母の携帯に電話をしましたが、その後何も言っていなかったので特に気にしていませんでした。
6日の午前中に父からのメールで知ったのですが、実は、この4日の朝、父は自力で起き上がれなかったそうです。母の助けを借りて起き上がったこと、こんなことは初めてだったので、翌日、病院へ行き、毎週通院することになったこと、場合によっては入院もあり得ることや9日の検査は取りやめになったことが書かれていました。
年末に肺がんのことを聞いていたのは、母と私だけだったので、妹たちにもこの状況をしらせてくれ、とも書かれていました。実は私は、お正月に妹たちが実家に集まった帰り、見送りながら妹たちに父が肺がんで、もしかするともうそれほど長くないかもしれない、ということをかんたんに話していました。すぐに、父のメールを転送して、父にも返事を打ちましたが、いや、電話だ、と思い電話で話しました。これが、父との会話の最後になりました。
父は毎日日記をつけていたのですが、そのためのメモがいつも座っていた椅子の横のマガジンラックに入っていました。もともと読みにくい文字を書く父でしたが、おそらくだいぶ力が入らなくなっていたのか疲れていたのか、いつもにまして解読が大変な文字でのメモでした。6日か7日のメモには、「昨日のパソコン作業が思いのほか疲れた」とありました。後で確かめると年末に私がもらった書類をさらに亡くなる前日にも更新してありました。
1月8日朝、休日でしたが、ヘリ予約があるので職場に行こうとしていたら、妹から電話。「お父さんが救急搬送された。今病院に向かっている。」
ざわざわしながらも、職場でヘリ予約の電話かけをした後、母に電話。わたしはまだ、父に息があると思って話していました。その後、母から「お父さんが今朝亡くなりました」とメールが入っていたことに気づきました。
父は、8日の朝は普通に一人で起きたそうです。夜中に咳をしていたので、もう少し横になって休んでいたら?と母が声をかけたそうですが、起きてきたとのこと。着替えにも息が上がるくらいだったようで、母が着替えを助けている途中で力が抜け崩れるように倒れたそうです。
4日の日記には、「まだ寝たきり老人にはなりたくない」と書かれていました。きっと、そんな思いで8日の朝も起きたのだと思います。
 
わたしは、 島の洗礼を受け、9日はヘリが飛ばず、10日に出島。妹たちが葬儀の手配などはすべて進めてくれていました。
父が、島から手を合わせてくれればいい、と言ってくれていなかったら、島に来たことを後悔していたと思います。
ライフラインの名義変更や父の確定申告の準備を進めながら、大切なものがきちんと整理して保管され、領収証などすべてがクリップなどでとめられ整然と残されていることに、感謝しつつ、我が身を振り返ると反省するばかり。
父が年末に見せてくれた相続の本には、茅ヶ崎の本屋さんのブックカバーがかかっていました。いったいいつ買ったんだろう、と疑問に思っていたところ、なんと、スイカの履歴まで定期的に打ち出してそれもまとめてありました。履歴を見て母と話しているうちに、ちょうど1年くらい前に二宮に菜の花を見に行ったようでその帰りに立ち寄ったということを母が思い出しました。
苦しむことなく、自宅で、長年連れ添った母の眼の前で息をひきとったことは、父にとって幸せだったと思います。
こんな個人的なことをここに書くのはどうかなあ、と思いましたが、ここを読んでくださる方の中には、父に会ったことのある人もいるので報告を兼ねて。
年末年始とずっと一緒にいたので、離れてくれしているわりには後悔はないのですが、ただ一つ後悔すること。元旦に、孫まで全員集合したときの記念写真に、わたしは、酔っ払っていてただ一人写っていないのです。これがあなたの「なんだかんだいっていちばん頼りにしている」といっていた娘ですーーーー。
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2016年10月尾山展望公園にて (撮影8)

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2018年1月 5日 (金)

寂しいメダカ

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10日ぶりに教室に行った。湿気対策でエアコンを常時稼働させておくのが普通だった昨年度はあまり感じなかったけれど、今年は乾燥していることもあって上の方針が変わりエアコンはオフになっていたのでどん冷えでした。伊豆諸島最南端、というと暖かいイメージがあるけれど、気温は10度を切っている。

6月頭に、青い航空会社の人に特別にお許しをもらって東京から持ち帰ったヒメダカ20匹。卵を採取して、20匹くらいの赤ちゃんメダカが産まれた。保育園水槽で隔離し、だんだん数は減ってしまったけれど、冬休み前には、1センチ強のメダカが5匹、20匹のうち7匹が生き延び、大人水槽で泳いでいた。確かに。

毎朝、教室に行くと、まず2つの水槽をのぞきしばし癒され、子供が帰った後、また水槽を眺めて諸々リセット。そんな習慣で、今日も、まっすぐ水槽へ。まずは、保育園水槽。3匹しか見つからない。5匹のうち2匹は産まれた時期が少し遅かったこともあり、なかなか大きくならなかった上、ちょっといじめられていたので、お亡くなりになったのかもしれないなあ。続いて大人水槽をのぞく。水温も低いので、メダカも動かないだろうと予想はしていたけれど、3匹しか見当たらない。水草の影にいるのかも、とピンセットで水草をかきわけたけど、やっぱり3匹。水を少し揺らしてみたけれど、3匹しかいない。メダカは弱ったり、お亡くなりになると、共食いもするし、タニシもメダカを食べるので、今までも、亡骸が見つかった個体は4匹ほどだった。子供メダカは、暖房が効いてきたら4匹確認できた。合わせて8匹。

暖かい職員室に移動させなかったことが悔やまれます。
次に5年生が在校して教材で使うまでなんとかブリーダー活動を継続しなくては。。。
雌雄の確認を忘れたけれど、残っている大人メダカが全部同性だったら、今年は赤ちゃんが生まれないなあ。ここも少子高齢化問題か。

画像は、無関係ですが、昨年末の誕生日、休日だったのに一人でご飯作って食べて、という日だったので、何か新しいことをしよう、と思い立って作った(といってもホームベーカリーの作品だけど)チョコメロンパン。

まだ帰省している同僚が戻っていないので住んでる住宅はわたしだけ。PCからBoseに飛んで鳴り始めたのは、CLIMAX80'sでした。誰もいないから、大きな音で、節操なく感じるラインナップのBGMです。

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2018年1月 4日 (木)

夜空よ今夜もありがとう

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本日予定通り島にもどりました。
東京湾から富士山まで、霞んでいましたが、雲に遮られることなく見渡すことができました。
昨年は三が日のうちに帰島したからか、気付かなかっただけか、わかりませんが、東京湾にはたくさんの船が動いています。子供の頃、鉛筆のお尻の方を手のひらで抑えて芯を滑らせて線が書けたところまで進めるという軍艦ゲームというのがあったのを記憶していますが、まさにそれのように、たくさんの船とその大きさに見合った航跡が見え、ラインもないのによく衝突しないなあと、感心します。こんな中で漕ぐ時、カヤックは最新の注意が必要だな、と改めて思ったりもしました。

たった2名しかいない8組っ子は、二人とも今年になって誕生日を迎えました。
島にはケーキ屋さんがありません。バースデイケーキは手作りするか、隣の島に注文して、ヘリコプターに乗ってくる島民に預けて膝の上にかかえてもらい、ヘリポートで受け取る、かどちらかです。
そんなわけで、妹(の働いているケーキ屋さん)に無理を言って、生バースデーケーキを二つ用意してもらいました。ものすごく喜んでもらえたので嬉しかったです。
昨年は、グーテデロワ(新年を占う陶器のマスコットが埋められているパイ)頼んでいたのに東京の自宅玄関に忘れてくるという失態を犯したのは時効ってことで。
立場で考えたら、ここまでするべきことじゃないという考えももちろんありますが、たった二人だし、ここならではだし、です。

島に戻ったら、さっそく島の青年からお呼ばれ。一緒に飲んだことはあるけれど、初めて誘っていただいたので、梅酒を持参していっぱいだけ飲んで帰ってきました。満天の星空の下を歩きながら、フェイスタイムでこの星空は映るかなあ、などと考えていましたが、帰り道、空は雲がいっぱい出ていて星は見えなくなっていました。

明日から、本格始動です。

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2018年1月 1日 (月)

わたスキ

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各地からの雪だよりが早かった今シーズン

12月28日ガーラ湯沢で滑ってきました。

島生活スタートのために、気持ちも道具もシーズン納めをしっかりできなかった2015-2016シーズンから、滑走日数ゼロの2016-2017シーズンを経て、装備も気持ちも技術も不安でしたが、ちゃんと(師匠にはそうは言ってもらえないと思うけど)踵自由滑走ができましたことを記録しておきます。

マイナス6度、外遊び用のよいアンダーなどは島に置いてきてしまったので、けっこういい加減なウェアも相まって寒い寒い。

現地で収納袋から取り出したヘルメットは、表面がペタペタになっていました。まだまだ使えるつもりだったのにショック。今回はそのまま使いましたが、ザックなどと同じでどうにもならないと思います。

板は、古いサイコ。バインディングもちょこっと欠けていることを忘れていました。セッティングしてしまえば何の支障もありませんが、着脱がしにくくグローブ泣かせです。

今回の特筆事項は、なんといっても、JRスキーで行ったということです。

まんまわたスキ世代なもので。

8100円で往復新幹線にリフト券付はお得でした。

でも、スタイルだけは、ニセコな方々の真似をして、昼過ぎにはあがり、ガラガラの新幹線で東京に戻り、夜は宴会に参加とあいなりました。

テレマークの師匠には、シーズンインは斜度のないところでしっかりポジションを確かめるように勧められています。

今回も、ひさしぶりだったので、最初はゆっくり確かめながら緩斜面を滑ると、けっこう覚えてるじゃん、という感じ。しかし、雪がガーラとは思えない柔らかさなので、だんだん調子が出てきてしまい、最後は下山コースで売り切れました。

おそらく、今シーズン最初で最後の滑走ですが、楽しかったー。

本格復帰の時は、何から何まで買い替えでしょう。お小遣いためておかなくちゃ。

板(まだいけるかな)、バインディング、ウェア(まだいけるかな)、ザック(まだいけるかな)、ヘルメット。。。確認してないけど、シールはだめかも。

そうだ、スキーの前日、ブーツを出してみたら、サーモインナーにカビ?疑惑。

なにしろ、カビには敏感な日常生活を送っているものですから。

でも固く絞ったもので拭いても変化なし。においもまったくなし。手で触っても何もなし。

もしかすると、マーブル模様だったのか?そう信じることにします。

ということで、今日は、帰宅後ウェア(おそらく島に行く前に洗濯はしていない)を洗濯乾燥し、装備全部を部屋に並べて乾燥中。

雪山遊びの体力を維持するために、島に戻ったら走るぞ、と日記には書いておこうと思います。

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あけましておめでとうございます

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いろいろなものやこと、自分を見直すことができた2017

特に友達や仲間など人のありがたを強く感じる1年でした。

会って、語らって、飲んで、食べて、受け入れてくださったみなさま、ときどき思い出してここを訪れ気にかけてくださったみなさま、ありがとうございました。

2018年は、これからのことを考えながら、まさに「8の素」を濃縮する1年にしたいと思っています。

しばらくは、いつでもどこへでも、というわけにはいかない生活が続きますが、本年もどうぞよろしくお願いします。

平成30年1月1日 

画像は、今年のおせち 花形人参マスター。たつくりときんとんは8作。

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2017年11月12日 (日)

はじめての。。。米作り

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この記事を書こう書こうと思っていたのですが、

いろいろなことがあり、停滞していました。
小さな島だからこその難しさを味わいながらも、最近のトピックナンバーワンは米作りです。
春休みに突然学校の畑として借りている土地にユンボが入り、田んぼが拡張されました。
そこに毎年お願いしているJA山形の方を講師に招いて、6月に田植え、その後主にメールで米作りの指導を受け、10月27日に無事稲刈りが行われました。
昨年までは、田んぼが小さかったためあまり収穫量はなかったようですが、今年は、10平方メートル超えです。直撃されることはなかったものの、台風の影響でかなりの稲が倒れてしまいました。水を抜いて発芽しないようにしましたが、その後、また大雨に見舞われ一部発芽してしまいました。
それでも全ての稲を刈り取りました。
ここからが問題です。昨年は、割ってない割り箸を少し広げて稲(わら)を挟み、こそげ取る形で脱穀していたそうですが、手作業でそれでは、らちがあかないほどの量です。
ネットで「せんばこき」を検索すると、昔の道具としての資料用というかんじで、足踏みの脱穀機がヒット。それ自体の価格は10000円しないくらいなので、買ってもいいかな、と思いましたが、重いので送料がばかにならないのと、離島に送ってもらうのは難しい、という壁にぶちあたりました。
どうしようかと思い悩むこと数日。たまたま話していた島の方が麦用の足踏み脱穀機をお持ちだとのこと。貸していただけることになりました。稲刈りの日にその使い方も教えていただき、一気に脱穀が完了。
稲がかなり倒れて枯れていたので、脱穀したものは細いワラごと、といった感じ。
そこからが、また大変でした。
まずは、もみを集める。そして、ワラに籾がついているものをより分け、そのワラから籾を手作業で取るのです。
普通の規模の学級なら人海戦術でなんとかなるのですが、なにしろ今年の8組は2人。わたしも勘定に入れても3人。なんとか、ワラの細かいものと混在してはいるものの籾つきの穂の部分を選別することができました。
ここからが、さらに難題でした。籾すりです。 ネットで家庭用の精米機を見つけたときは、籾のまま入れれば精米できると思い込んでいたので、これでばっちり、と思っていたのですが、籾摺りはできないと判明。
昔ながらの一升瓶に籾をいれて棒をさして、上下する方法を試してみましたが、あまりうまくいきません。
ネットで検索すると、軟式野球のボールとすり鉢を使って籾すりをする方法がヒット。
軟式野球ボールはなかったものの、ソフトボールとすり鉢で籾摺り開始。
1時間あげてちまちま作業をするもらちがあかない。途方にくれていました。
籾摺りした後も大変です。籾がらと玄米を分けるのが。。。。
ピンセットで米だけ拾っていましたが、これまたいつ終わるかわからないような作業量。
そこで、籾摺り後の籾からと玄米が混在したものをザルに入れて、ザルの下から理科の実験よう送風機を使って風を当てて籾がらを吹き飛ばす方法をとりました。
周りが大変なことになるのですが、教室外のテラスに送風機を出して、そこで行いました。
ここまでくると、お米にして食べることが頭に浮かびます。
稲刈りをしたら、最初、あとは精米すればよい、と簡単に考えていたので、密林さまで、精米機を検索していました。
家庭用の小さな精米機ならば、これまた10000円しないで買うことができるので、ポケットマネーでなんとかしようという企み。
そんなわけで、現在、1号ほどの白米ができています。
投資したもの。
検査用籾摺り器。(鉛筆削りを小型にしたようなもので、一回に籾摺りできる量は大さじ一杯くらいのものですが、籾がらと玄米が別になってとり出せるのでかなり効率アップしました)
軟式野球ボール6個。(ソフトボールより格段にはかどります。すり鉢かザルに籾を入れてボールで底に擦り付けるようにすると籾がとれます)
精米機。
まだまだ遠い道のりですが、おにぎりにして、食べるぞー!!田んぼを作ってくださった方にもおにぎりを差し上げるのがいまの8組の目標です。
写真は明日!カメラを職場に忘れてきました。

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2017年10月30日 (月)

手仕事

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少し前のことになるが、PTA主催の作品講習会なるものに参加した。
以前の職場でも似たようなものが開催されていたけれど、たいてい、子供のいる昼間に保護者向けに開かれていたので、興味があっても参加できなかったので、はりきって参加。
こちらでは、広く村民からも参加者を募り、講師になることができる島民や教員が講師になり、材料をまとめて購入して、最近流行り(らしい)ハーバリウムから、コネペタせっけん、という粘土細工のようなちびっ子でもできるものまでいろいろな講座が開催された。
わたしは、エコクラフトを選択。
作成したのが、写真のかごバッグなのです。
もともと、工作などは好きで楽しかった〜!!
そしてはまった〜!!

ということで、すでに、自分でも材料をポチりました。
制作にかかった時間合計6時間程度でしょうか。
講師の先生から、中に好きな柄の布をはったり、口に布をはって、きんちゃくのように紐でいめられるようにしたり、いろいろアレンジできる、と教えてもらいましたが、とりあえず、何も材料がないのでこのままに。
これ、ちょうど、ビール3缶入るのです。呼ばれしたときに、ビールを持参するのにも使えそうですが、こちらに来て浴衣を着る頻度が高いのでそのときにもつのにぴったりだと思います。
材料などを少し。
これは、もともとは昔ながらの米袋の口をしばるためのものだった、1、5センチ幅くらいの平たい紙ひもでできています。
このひもは、細いこより状のひもを12本並べてつないであるものです。これを必要に応じて、4本とか、2ほんとか3本とかの幅に裂いてそれを編むのです。
接着は全て木工用ボンドで、仕上げにニス塗りをしてあります。ニスのおかげでかなり丈夫です。500mlのビール3本入れても大丈夫です。
テープはいろいろな色があり、本も何冊もでていて、かごのデザインもいろいろあります。まずは、これと同じデザインを色違いで作ってみようと思います。

閑話休題。
おとといの居酒屋八は、盛況でした。先週は職場でいろんなことがあったため、若者が予約来店。その後、別の集いが終わった若者が流れてきて日付が変わるまで。
今回のメニュー 覚書
カボチャサラダ(ひんぎゃで蒸したカボチャをペーストにしてアーモンドと玉ねぎを投入してマヨネーズで味付け)
玉ねぎとひじきの甘酢サラダ
ひたし豆
和風ポークソテー パイナップル味噌ソース
千切りキャベツ
きゅうりのオクラの佃煮和え
栗ごはん(の素を送ってもらったのでそれを利用)
ビール サッポロクラシック富良野ヴィンテージ
青酎みかん酒
予約来店した若者男子提供
自家製チャーシュー(美味しかった!)
煮卵
ムロアジのなめろう(栄養士作)
同僚向けに、でも宣伝はせずに細々と開店するコンセプトだったのですが
同僚(もれなく若者)が本物の居酒屋でしゃべったらしく、島民のお客様が来て
びっくり。
家呑みの日、というより、ちょっと忙しくても料理をしっかりするメリハリがつくきっかけでもあります。限られた材料でバリエーション豊かなメニューに挑戦という感じです。

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2017年10月23日 (月)

かんも

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島の土でも実るかんも(さつまいも)

病気や虫にやられても確実に収穫できるように、いろんな種類の芋を植えています。
職場の農園の収穫はちょっと先ですが、蜜いもをいただきました。
オーブンで焼き芋にしてみました。
美味!
数日前にアップしたハイビスカスは、職場の玄関横なのですが、今朝、職場の様子を見にいくと、一番太い幹が根本の方から折れて花はなくなっていました。今回の台風は、校庭の方角から校舎に吹き付ける風だと言われていましたが、その通りでした。サッカーゴールも倒して重石をのせていたにもかかわらず、数メートル動いていました。
EMMプロジェクト(昨日参照)のCMで宣伝したのはコレ↓
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台風の中で EMMプロジェクト(備忘録的な)

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昨日、学習発表会が終わりました。

5年生8組「EMMプロジェクト」まずまずの出来でした。
島の方言について、村民にアンケートをとりました。村民が160人なのですが、アンケートは郵送や、島の広報に入れてもらうなどといったことはせず、地域行事の出口で子供たちが配布したり、役場や郵便局に用紙をおかせてもらったり、口コミで伝えたり、手渡ししたり、という原始的な方法で行いました。地域の健康体操の場に出向いて高齢者からは直接回答をいただくこともしました。
そんな中で、なんと57人もの方から回答をいただくことができました。
これも、子供が手書きした手紙をつけたからだと思います。もちろん、わたしが書いた趣旨説明の文書もつけましたが、何人もの方から8組っ子の手紙に心を打たれた、と言われました。
関連する本を貸してくださったり、わざわざ、昔の資料をコピーして回収ボックスに入れてくださったり、お手伝いしますよ、と声をかけてくださったり、思いの外反響があり、予想外のことで驚きました。
発表は18分ほど。
<構成>
オープニング 「ももたろう」冒頭 島言葉バージョン(録音) 絵をスクリーンで映す
番組テーマミュージック
・キャスター2名のあいさつ 「本日の特集 島言葉」を伝える
・新聞記事(消滅危機言語について)紹介
・アンケートより1 回答者について 総数と世代ごとの人数
・アンケートより2 島言葉がわかるかどうか
CM1 青ヶ島 鬼辛 (ポカリ鬼ガチダンス パクリ)
・アンケートより3 島言葉についてどんなイメージをもっているか
・アンケートより4 島言葉を使うことがある人の割合(世代別)
・アンケートより5 島言葉を使うのはどんなシーンか
CM2 青ヶ島 釣り(townワーク パクリ)
・島言葉クイズ
・島民からのメッセージ紹介1
 キャスターに宿題や問題を出してくれた方には、その場で返答しながら
・キャスターAの考察と今後の展望/提案
・島民からのメッセージ紹介2
・キャスターBの考察と今後の展望/提案
番組テーマミュージック
・キャスター挨拶
スクリーンに紹介しきれなかった島民からのメッセージをエンドロールで流す
<舞台セット>
スクリーン1
パネル2(うち一つは途中で回転させて裏表使用)
キャスター用テーブルと椅子
番組タイトルの入った目隠し
CMで使った青ヶ島丸の絵をオブジェとしてスクリーン前に置く
<小道具>
指し棒
新聞記事フリップ
フリップ立て
島言葉クイズ用フリップ
<キャスター衣装>
男子:黒にストライプスーツとネクタイ
    スーツ協力 妹その1(甥っ子のもの)
女子:白ジャケットにチェックのスカート
    8私物➕本人私物
<音楽>
朝まで生テレビのテーマ
ポカリスエット鬼ガチダンス
島言葉クイズコーナーは、小学生がリハーサル時に見ていたので、答えないでね、と言っておいたら、反応が薄く、テンパったキャスター1名が即終了させるという荒技に出て、失笑を買う中、キャスター2が、なんとか答えを披露する、という放送事故らしきものもありましたが、その他は、台本首っぴきではなく、ボードを見ながら話し、観客を見ながら自分の主張を伝えていました。そして、観客が大人だと、CMの受けもよかったです。
そして、今回は、選挙と重なったため、打ち上げを予定していた場所が使えなくなり、急遽、営業していない居酒屋を借りての打ち上げとなりました。
久しぶりに宴会担当となり、司会。
大人の学習発表会、という設定にして、大勢の人にスピーチを回すだけの司会でしたが、今の若者はこういうスタイルを知らないのか、嫌なのか、この島に来て初めてのスタイルでした。この業界、フればみなさんしゃべることばたくさんあるのです。そして、こういう機会にそれぞれの人柄が滲み出たり、職場の一体感が高まったりするのだと思うのは、古いのかもしれないけれど、けっこう盛り上がった2時間でした。
8時には終わり、幹事だったので最終確認をして帰宅。残ったお料理を持ち帰った人がいたので、どこか(誰かの家)で二次会をやっているのかな、と思いラインするも、返事なし。こういうとき、同世代がいないのは寂しいです。同世代らしきカテゴリに入るのは管理職なんだけど誘わず、学習発表会の達成感を肴に 一人二次会しながら東京にいる友人とメッセージのやりとり。
雨戸は閉めたけれど、何か飛んでくるのではないか、というくらい強い風音をBGMにベッドに入りました。
そして、本日は振替休業日。雨はほとんど降りませんでしたが、ものすごい風だったので、休みでよかったです。朝チェックに行くと、田んぼのネットは支柱が全滅していたのですが、まだ風が強かったので、明日の朝一でネットを張り直します。今週末稲刈りなので、ここまで守ってきたのに、ここでスズメにやられてしまうのだけは避けたいのです。

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2017年10月20日 (金)

パワー

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パワー、と聞いて何を連想するのでしょう。
パワーハラスメント、パワースポット、パワーストーン?

 
パワーポイントって動画も貼り付けられて、音声のトリミングもできて、エンドロールも作れるのですね。びっくり。

 
本日8組の番組公開録画風の発表が完成。わたしにできることは、スライドショーのクリックのタイミングを間違えないことだけです。パワーポイントのスライドに、スライドはもちろん、CM、テーマ音楽などが仕込まれています。
本番は、明後日です。
別件でMacBook Proで作成した動画をwindowsに移してwmvに変換。
 
そのために拝借した職場の8GUSBメモリースティックが壊れた。。。なぜ!?
 

それでもなんとか、明後日の展覧会の片隅でチャプターもつけたDVDをご自由にご覧下さい形式で展示できることになりました。
 

ウェブで調べながら同僚にいろいろ教えてもらい、いろいろ試してここまで無事に辿りついたー。
今回覚えたことを次に使うまで忘れないように、メモメモメモ。
動画系はだいぶ苦手意識がありますが、アップルさん、iMovieは簡単ですね。

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2017年10月19日 (木)

ちょっといい気分

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ただいま午前1時20分。

こんな深夜まで起きていることは最近ではあまりありません。
今日は18日。
9月から、8のつく日は、家で1人飲みをしつつ誰か来ればウェルカムという日にしました。
居酒屋8開店。
いちいち、誘うのも面倒なので、そういうことにしたのですが、今のところ、お客様はごくごく少数。
今度の週末の日曜日は、学習発表会。
今の職場は、学年ごとに発表を行うことになると、すべてを1人でやることになるので、けっこうせっぱつまっていますが、本日、今わたしにできることはほぼほぼ終了しました。
少し遅めの時刻になりましたが、ラインナップは、昨日ちょこっと準備しておいたひたし豆、島産サツマイモのきんぴら、豚ロース(おろしソース)。
誰も来ないだろうとおもいつつも、もし、誰かが覚えていてきたらなにもないとなあ、ということでつまみを作りながら、ヒューガルデンの小瓶を飲みほすころに、夜のバレーボールが終わった後輩が1人来ました。
学習発表会は、学芸会と違って少し地味ですが、作り手のオリジナリティが出る発表会です。
ちょっと使い古された設定ではありますが、8組は、番組仕立てで、島言葉について調べて考えたことを発表します。途中、8組が制作した島のCMも入ります。
なにしろ、出演者2名です。発表内容をすべて覚えるのは無理なので、報道番組のキャスター2名が、原稿を読み上げたり、「アッコにおまかせ」(TBS)風にボードに資料を貼ってペリッとめくるながらアンケート結果を説明したり、会場の方にクイズを出したり、コメントや感想を交わしたり。
プレゼン力とまとめられますが、目指すのは、臨機応変に生でしゃべることです。
台本と少しくらい違ってもいい。アンケート結果は資料を見ればしゃべって伝えられるし、会場や、もう一人のキャスターとのやりとりでは、自然に視線を向けたり、相槌をうったりできることを目指しています。
そんなわけで、もちろん自分は黒子なわけですが、CM動画を編集したり、いや、その前に、パクるCMを8組と一緒に選び、構成を考え(わたし)、必要な音楽や商品を準備し(わたし)、島内の様々な場所で撮影し(連れていくのはわたし)、必要なロゴを書き(8組)、テロップなどを入れ(わたし)ました。
昨年のブルゾンちえみのパクリでぶるぞん◯◯◯(8組の名前)に続いて大作(?)です。
島にきて、身につけたスキル。動画作成力。
ちなみに、パクリ元はちょっと古いかもしれませんが
ポカリの「鬼ガチダンス みんなでおどってみた編」
「バイトするなら タウンワーク ホーム編/エレベーター編」
明日はリハーサルです。まだまだ綱渡りな部分もたくさんありますが、盛り上がっています。
おやすみなさい!

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2017年5月 7日 (日)

2017GW前半 青ヶ島

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島に来て1年ちょっとたちました。
このGWに、これまで何度も共に旅した友人が遊びに来ることになりました。決まったのは3月ごろだったのですが、GWの島の宿は全ていっぱいだということなので一緒にキャンプすることになりました。
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友人が来ることが決まってから、行こう行こうと思いながら行ってなかったサウナに初めて入ったのですが、地熱サウナは、日によって温度が違います。この日はほどよい温度でした。洗い場や浴槽もあって、かなり快適。キャンプ場の近くにあるのもいいです。ただ、休憩室のテレビとマッサージチェアはアクセサリなので注意が必要です。1回300円。回数券は10回分で1回ただになります。今後はこれを利用しようと思います。

昨年のGWに一人でキャンプしてみようと思ったら、難民テントのようなぎちぎち状態。しかも事前に申し込みが必要だとのことであきらめました。だから今年は、まずは役場のHPでキャンプ場利用について調べ、2週間前にメールで(行った方が早いけど)申し込み。そして、当日は港で友人とともに利用上の注意などのレクチャーを聞き、車でキャンプ場へ。他のキャンパーは徒歩だったので乗せてあげようか、とも思いましたが、全員は乗せられないので声をかけませんでした。昨年のテント村状態が予想されたので、まずは、テント場を確保してテントをはってしまってから、不要な荷物を住宅に運んだり、観光したりした方がよいと考えたのですが、今年から、申し込み受付数を制限したそうで、けっこうゆったりとしていました。

寝床を確保した後は、島の観光ポイントを回りました。車が運転できるようになってからの客人は、両親に次いで、2組目。両親が来島したときは、車を切り返すのが怖くて行かれなかったところも今は大丈夫です。天気にも恵まれ、島で一番高い大凸部山頂からは360度の景色を楽しむことができました。その景色を眺めながらランチ。山頂には私たちのほかにも5、6人いました。こんなに人がいることも珍しいと思います。(冒頭の写真が山頂でのもの)
今回訪ねてくれた友人には、初日のランチは調達してきてほしい(もちろんわたしの分も&できれば都会臭のするもの)というずうずうしいお願いをしていました。今、けっこう仕事が忙しくて前日まで余裕のない生活をしていたので料理を作り置いたり仕込むことができなかったからなのですが、友人も前日は夜まで残業していたとのことで、夜遅くまでやっている銀座ポンパドールでパンを調達してきてくれました。都会はすごいですな。ありがとう!!

その後、住宅に戻り、キャンプ道具と、こちらに赴任する時に実家から持ってきてしまったオシャレキャンプ御用達の椅子や、ランタン、食材、ビールを入れたクーラーボックスを車に積んでキャンプ場に戻りました。ひんぎゃに野菜を仕込んでいる間にサウナに入り、蒸しキャベツにつける肉味噌を作り、鶏肉を焼き、宴のスタート。
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なるべく明るいうちに作業をしてしまってあとは、星を眺めつつ飲んでしゃべる。楽しい夜となりました。星を見るために少し上まで行き、道路に寝転んで眺めていましたが、これは注意されている行為だったようです。撤収して、歯をみがき始めると雨が降り始め、なんともよいタイミングでした。けっこう強い雨が降りましたが雨雲は1時間くらいで通り過ぎたようです。
翌朝は4時ごろから鳥が鳴き始め目覚めるも、6時前まで二度寝。コーヒーを入れ、朝食。テント場に太陽が当たるまで丸山を1周し、明日葉を摘み、島の方のご好意に甘えて充実した時間を過ごし、テントを乾かして撤収。その後、ジョウマンへ。牛がこんなに近くにいたのは初めてでした。この日もサウナに行くことにしたので、プリンの材料を仕込んで、サウナに入っている間にひんぎゃで蒸しました。プリンは蒸しすぎて、スが入ってしまいましたが味はまずまず。そして帰りに、サウナの管理人さんに畑に連れていってもらい、ほうれん草と大根をいただいてしまいました。同僚にタケノコをいただいたので、プリンと大根をおすそ分けして帰りました。ほんとうにありがたい事です。
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この日は、焼酎工場を見学させてもらえることになったので、今年島に来たばかりの同僚にも声をかけて、美しい夕日に見送られながら焼酎工場へ。
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実は、友人と同じ日程で共通の知人も来島していました。底土港(八丈島)で友人同士出会ってびっくりだったとのこと。その知人も誘いました。友人も知人夫妻も青酎を気に入ってくれてお買い上げいただき、私も2020まで開けない(つもりの)1本を購入。突然の見学に応じてくださったAさん、ありがとうございました。前回見学に行ったときより綺麗にスッキリしていていたのは、小池知事がいらしたからでしょう笑。
この知人夫妻がいたので、友人も一人ぼっちにならないので、5月1日は安心して仕事に出かけました。知人夫妻は1日の夜がキャンプだったので、友人はサウナに入って住宅に戻ってきていました。夕飯は島の居酒屋に。青酎を飲みながらいろいろ話しをしていると、キャンプ場で会った若者がやってきたので、一緒に飲み、同じ星空を見ていたとは思えないすばらしい写真をいただきました。
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友人も、知人夫妻も2日のヘリで帰るので、仕事のある私は見送ることができませんでした。授業の合間に学校からヘリポートを見ながらちょっとだけ見送りました。自分も3日に八丈島に行くことになったので、知人夫妻とはそこで再会することを約束しました。

青ヶ島のキャンプ場、キャンプ初心者にやさしくとてもいいです。焚き火ができる場所あり。カマドあり。雨水のため飲むことはできませんが水道あり。水洗トイレあり。そして、ひんぎゃで調理ができて、サウナで汗を流すことができます。これを書いているGW最終日の今日もふらっと行こうと思います。 

人とのつながりが楽しみを大きくしてくれることを実感した2017GWです。ちょっとだけ仕事しないと。後半はそのあとで。

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2017年4月 9日 (日)

いまさらですが

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この春、子供の存在は社会を元気にするのだなあ、と実感しています。

この仕事をしていながら、「子供は未来の宝だ」とか、「子供(自分の、という意味でなく)の存在が社会を元気にする」とかいう言葉に、共感しても、実際に自分の感情として強く感じたことはありませんでした。おそらく、一般的な子供の存在が身近すぎて、それは喜びの種であることはもちろんですが、多くの悩みの種でもあり、わたしにとっては、常に「働く」ことと切り離せない存在だったからかもしれません。

この春、島に子供が7人やってきました。15の春で旅立っていった2人など、島を出た子供もいますが、総数としては増えました。ヘリポートで来島する方を迎えに行くと、子供が増えたなあと感じます。賑やかになり、大人も元気をもらっています。学校も、クラスが増えました。

昨日、今年度の赴任者の最後の一人が来島し、ひとまず歓迎行事はおしまい。新しい体制で、活気のあるスタートです。
6日の入学式の後に、遠足の下見に行きました。島庁跡の広場には、大島桜が咲いていました。(冒頭の写真がそれ)明日葉、イタドリ、ツワブキなの食材をゲットしながら、新しいメンバーに景色や島の自然を紹介しながら自分も、この春休み、ほとんど休みなく毎日働いていたことに気づき、久しぶりの散策を楽しみました。
今朝、少し前に、IKが送ってくれた深谷かほるの「夜廻り猫」をなんとなくもう一度読んでいました。1ページで一話完結のほのぼの漫画なんですが、「働くとははたをらくにすること」というくだりがありました。まさに、今の私のポジションはそんな働きを求められているのですな。
下の写真は、港を作ろうと工事を進めていたけれど、崩れてしまい、途中で頓挫したところ。
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2017年4月 2日 (日)

それぞれのこだわり

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きょうも、1日、赴任者来島対応。

昨日いらした方には、羽田を発つ前に、当日の昼夜翌朝の食事を確保してきてください、とお知らせしてありました。
今日から、昨日来島した方と本日来島した方への食事サポートが始まりました。
今日は、昼に15人分の弁当配達、夜はカレーと、島の方が好意で届けてくださった明日葉のあえものの調理、配達をしました。
というのも、島では出来合いのお弁当を手に入れることはできないし、レストランもないからです。

それにしても、人はそれぞれこだわりどころがあるんだな、ということを強く感じるこの頃です。もちろん自分もそうなのだと思いますが。
チームで動いていることに関して、こだわりがあるあまり、「さわらないでください」「こうやってください」とあまりにも強く細かく言われると、私はすーっとひいてしまう。周囲にリクエストを出せないのはダメなところですが、周囲の反応を読みながらやんわり伝えていくやり方はもう古いのでしょうか???
なんか、トゲトゲした感じや、仕事できるアピールやら、自分都合の根回しが、あっちからこっちから見えかくれする初日。
カリカリするな、わたし。ゆるっとゆるっと。
明日は、民宿で作ってもらう朝食経由職場へ引率して出勤します。
写真は、3月に小池都知事来島時の警視庁ヘリ「おおぞら」

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年度はじめ

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4月1日(土)

平成29年度のスタート。
夜中、風の音と雨が強かったけれど、朝起きると天気はいまひとつ。
新しく仲間になる同僚や上司がきょうから、4日までに分かれてやっていくる。
上司も異動なので、7時前から、飛行機が飛んだかどうかなどの対応のため出勤し、HPを見ながら気をもんでいたが、飛行機はかなり遅れる。
自分たちのときは、6人だったので、全員同じ日に島に入ることになり、自分がとりまとめて連絡をするように、との指示があったので、そんなつもりでいたけれど、どうもうまく運んでいない様子。
というのも、今年度は、ファミリーで引っ越して来る方が何組かあることと、異動者が多いことで、みなさん、自分が何日に島に入るかはわかっているけれど、いったい誰と一緒の日になっているのか把握してないようだ。だから、とりまとめて点呼したり連絡したりする役割も決まっていないのだ、ということが発覚。それも、ヘリの予約をこちらでしているからで、こっちの不備だ〜。直接自分の仕事ではないけれど、今年の異動に関しては随所にこういうところが目立つ。職場の若者は、我が物顔で、「わたしたちのときは・・・で、こういうことはダメだった。(8さんたちの代が変なんですよ、的な感情が見え隠れ)」などと言います。←ほんとに、視野狭っ。と時々ムカつきますが、そのことはおいといて。次に異動者を迎える三段には、たくさん口出ししようと思った次第。

うちの島に来るヘリは、各島を結ぶヘリの中で一番最初の運行なのですが、朝、職場で外をチェックしながら仕事をしていると、みるみるうちに霧で覆われ、欠航が決まりました。天気は回復傾向なので、各島を結ぶヘリの運行が終わった最後にもう一度運行してくれる可能性があります。定員9人が待っている状態なので、霧さえ晴れれば、この「夕ヘリ」(た、じゃないですよ。「ゆうへり」)が出るはず。ということを赴任者に伝え、みなさんは約6時間も待機することになりました。

その間、コンテナで届いた赴任者の荷物を、島の配送担当の人たちと荷ほどきして家に入れたり、雨が強かった時の配車計画を相談。朝、到着していれば昼は家にもどって食べようと思っていたけれどそうもいかず、商店でカップラーメンを買ってお昼。
多少バタバタしましたが、夕方、長旅になった赴任者第一弾をお迎えすることができました。
同じ住宅に入った方に電気ストーブを貸し出すついでにビールを差し入れ、商店の場所を教え本日の業務は終了。ボスも異動したので、これも自分がやっていいのか!?と思うような仕事を、もうやるしかないんだなと理解して片付けて帰宅しました。

ちょうど1年前、同じように雨模様の寒い日でしたが、わたしたちは、時間通り午前10時前には島に到着したのでした。
わたしの場合、この1年間に、公私あわせて6往復しました。その全てが予定どおりの経路でした。先日、ヘリが取れず、出島を見合わせ、不本意ながらもお布施を払ったので、今年度もうまくいくと踏んでいます。

プライベートも、ですが、まずは、移動教室が予定通りに行きますように!!

そして、今日も第二弾対応のため、7時前に職場へ。
その後、これは公務ではないけれど、職場の仕事、赴任者の食事サポートで、カレー作りをします。だいぶ前に合羽橋で買った寸胴鍋が、職場にあるどの鍋よりも大きいので、我が家で調理し、配達します。車も島内では不自由なく乗れるようになりよかったです。

今年度の自分テーマは、「チーム○○○島」。先日、中学生の昼の放送番組企画で「来年度の抱負は?」と聞かれて、こう答えました。

しばらく会っていない研究仲間や後輩に、時々「8節」を聞かせてほしい、というようなことを言われます。このブログもそうですが、言葉で語るタイプなので、くどい、めんどう、と思われることもあるだろう思いますが、島に来てからはあまり出していません。
2年目となる今年度は、仕事面で経験を生かし、たとえ、軋轢が生じたとしても発言していこうと考えています。まずは、直接自分の関わる「小」からですが、展望としては、「焼酎」です。


前の職場の仲間が、別の島に異動になり、今日、竹芝で集まって「出発式」していたようです。今頃、うちの島よりだいぶ南の洋上でしょう。お互いにがんばろー。

最近お気に入りのフレーズ「ゆるっとがんばる」。

画像は、3月に初めて拝んだ「大杉」。島から人がいなくなった噴火を超えて生き残ったと言われている杉です。観光客などにも、一人で行くと迷うので島の人と一緒でなければ行ってはいけない、と言われていたので、仕事で行く機会があってラッキーでした。


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2017年3月27日 (月)

めまぐるしい日々

島の学校は(うちだけかもしれませんが)、修了式の後に離任式(異動で去る先生方とのお別れの式)を行います。

24日、修了式後、一旦ヘリポートへ。1年半お世話になった駐在さんが異動で離島されるので、みんなで見送りです。その後、学校に戻って離任式。
3月に入ってから子供たちは、なんとなく落ち着かないような感じがしていました。毎年、この季節に別れがあるということをわかっているからなのだなあと思います。そして、その別れに対する思いは、わたしたちが簡単に「寂しいよね」なんて言えないものなのだろうと感じています。しかたないことであるけれど、それがこの島ならではのことで、それが、やるせなかったり、憤りだったり、憧れだったり、劣等感だったり、想像はできて共感できても、「でもあなたにはわからないよ」と言われているような気がするのです。子供達の姿からそんなことを感じました。
島を舞台にした映画「アイランドタイムズ」の挿入歌「旅ゆく君へ」(ちめいど)の歌詞「ふるさと」の部分を「青ヶ島」にかえてヘリポートにいる全員 で歌った後、離島する方が挨拶するのが一つの儀式のようになっています。この儀式が終わると、保安検査をして、いよいよ搭乗する時は、ハイタッチをしながら別れを惜しみ、天候が許せば、ヘリが島を1周してくれます。みんな、ヘリが見えなくなるまで手を振ります。「おもうわよ」の横断幕の後ろで還住太鼓が鳴り響きます。この3月だけで、中3の2人、駐在さん、ともう3回。明日は、いよいよ1年間一緒に仕事をした仲間の離島です。
新しく赴任してくる方の荷物が届き、職場の倉庫に搬入されています。明日から、それを各住宅に運び入れる作業が待っています。軽トラデビューも近いかもしれません。来年度は、職場で一番の年寄りになってしまいますが、若くて動ける男子は出島中なので、若い女子より腕力はある自分は戦力なのです。
それにしても!!今日は、ものすごく長い1日でした。
同僚の部屋の荷造りと片付けとそうじに明け暮れました。明日朝、ヘリに乗らなければならないのに、午前中の状態を見て、これは絶対に無理だ、きっと、本人は離島してその後自分たちが片付けるのだろうなあ、と思いました。
私が行く前に、若手女子2名がすでに手伝っていたのですが、そのうち一人は自分も離島するので、途中で退散。とにかく、ものの多い人で、捨てちゃえばいいのに!!と思いますが、より分けている時間はないのでとにかく箱詰め。段ボールが足りなくなっても、郵便局にもう在庫がない、とか、ガムテープが商店にあと1本だったとか、そんな状態の中、自分の家にある在庫を大サービスしての作業は、数年後の自分への反面教師になりました。
最後の方は、とにかくそのへんのものをぐちゃぐちゃのまま箱に入れて封をするという状態になり、荷ほどきするのは、ものすごくいやだろうな、と思います。他人に箱詰めされた物たちは、秩序もなにもなく封入され、表に何が入っているか書く余裕も途中からなくなり、きっとこの箱、もう開けないんじゃないかな、とも。
そして、職場の住宅なので、住宅管理人による復元チェックがあるのです。夜になってから、一緒に島を出る同僚も来てくれて、総勢7名で分担して、段ボールを軽トラとワゴンに積み(明日早朝郵便局に持って行く)、換気扇やガスコンロを掃除し、床を雑巾がけし、お風呂と洗面周りを掃除。自分も離島する管理人が最後にチェック。これも、いい加減にはできず、網戸、窓ガラス、室内のガラス戸の桟、お風呂場のタイルの目地が一部カビている、を指摘され、真っ暗な中、手分けして、網戸拭き、ガラス磨き。お風呂場は、カビキラー泡を吹きつけて直後にサランラップを貼り付ける方式でみるみる間に白くなるのを確認しました。
ここには、コンビニも、マックもない。一昨夜の送別会の皿盛りの残りの、冷凍してあったおいなりさん、おにぎり、唐揚げ、つくねを解凍してチンしてみんなで食べました。

去年の自分も大変だったし、家族の手も煩わせたけど、荷造りは全部自分でやったよなあ。その時、参考にさせてもらった「赴任者向け引っ越し事例集」の中の記事が、今日手伝った人のものでした。立場や仕事量が似ていたからです。違うのは荷物の量が私の倍以上であること。そういえば、「最後の晩は、友達が来てくれて手伝ってくれた」的なことが書いてあったような。

昨年の3月31日、体調がすぐれなかった母の分mで気にかけて手伝いに来てくれた父と、駅まで満開の桜並木を歩き、別れたのが、ずいぶん昔のように感じます。
あまりにも生活のペースが変わったからでしょうか。母は、島まで遊びに来られるくらい元気で、最近はiPadでメールを送ってくれます。父が食べ物の心配をしてくれるなんて一緒に暮らしていた頃からは想像ができませんが、果物などを送ってくれたりします。
今まで、人生の大きな選択にまったく口出しせず、いつも後押ししてくれた両親ですが、近くて遠い島からは早く戻ってほしいと思っているように感じます。こんな年になって、こんな選択をする人はあまりいないし、後ろ髪を引かれる思いもあるし、島でも若い人が欲しいのだということが伝わってきますが、島で教えることを選んで来たので、来年度は自分の色を出してみます。今後のことはその手応えで自ずと決まる。たぶん。
この春休み、初任校の教え子の同窓会に招かれたのですが、ヘリが取れず行かれませんでした。とても残念ですが、この島にいることで、招いてくれた教え子とたくさんやりとりをすることになり、次につながりそうだし、当時、自分を育ててくれた先輩方とも電話で話すことができました。そして今日のこの引っ越しの様子を知ることができたのも、同窓会に行かれなかったからで、出島できていたら、明日のヘリポートで、自分が乗ってきたヘリに、離任する同僚が乗るのをすれ違いで見送ることになったので、同僚との別れにしっかり立会い島の1年を全部見ることになったので、これでよかったと思うことにします。
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2017年3月19日 (日)

3月は去る

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島に、鳥たちの声がもどってきました。そして、初めて島に来た頃と同じ野草や花が道端に見られるようになったこの頃。
昨日は、卒業式でした。
6年生1人、中学3年生2人の卒業生を送り出しました。
会場は、学校のホールで、証書授与の後は、膝下をかすめるくらい近くを卒業生が歩きます。門出の言葉の中で歌われる合唱は、われわれもパート分けされていてしっかり歌います。〜勇気を翼にこめて 希望の風にのり この広い大空に 夢をたくして〜 「旅立ちの日に」を歌いながら、この学校の卒業式の会場にいる全員の心に、この歌詞が浸み込んでいくのが見えるようでした。

この歌は、数年前にCMで流れたりして、だいぶ手垢がついてしまった感がありますが、小学校の卒業式でよく歌われます。先輩の音楽の先生が、この歌は中学生の歌だから、小学生には小学生らしい歌を歌わせたい、とおっしゃっていたことがあります。小学生にとって、前の卒業生が歌っていたり、耳慣れている歌を、今度は自分たちが歌いたいという思いは強いと思いますが、この歌詞を実感するのはまだ難しいだろうな、と改めて思います。
中2による送辞には、泣かされました。ずっと一緒に育って今まで頼りにしていた1年上の仲間がいなくなること、1年後には自分たちも同じように独り立ちすること、そんな思いがこめられていました。

もちろん、小6の卒業は、ほんとうに晴れやかで、来賓の挨拶も卒業生の成長を身近で見守っていたからこそのお話でした。会場の全員が、全員卒業生のことを名前と顔だけでなく、家族のようによく知っているからこそ、の卒業式でした。
春は、島にとっては別れの季節でもあります。
職場の同僚の異動も卒業式の予行練習の後で、(行き先は明らかにはされていませんが)子供にも知らせました。そして、新しく来る方の荷物が届き始めました。昨年の今頃は、怒涛のように仕事をしながら、誰にも知らせず、引き継ぎの算段と片付けをし、家に帰ると荷造り、退勤時刻を過ぎると慌てて各種手続きの電話かけ、という毎日を過ごしていたんだなあ、と思い出します。島の気候や生活に慣れ、人らしい生活リズムを取り戻し、ゆるやかな仕事のペースに癒され、1回も大声を出すことなく過ごせたことをよしとします。2年目に向けて、やりたいことも見えているし、ただ漠然と過ごすのではなく時間を大事にすること、今の時期に準備をしっかりすること、が今の課題です。このまま、ぼーっと過ごしてしまったらもったいない、と小さな焦りも感じています。

前回の更新から、いろんなことがありました。
・QRコードを取り入れた学習(研究)
・大杉ハイキング
・「ブルゾンちえみ」6年生を送る会の出し物
・移動教室下見で毎日2万7000歩くらい歩く
・たった一人の二分の一成人式 初iMovie
主に仕事関係ではありますが、ぼちぼち更新していこうと思います。

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2017年2月25日 (土)

1月は往ぬる 2月は逃げる 

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自分にとってはこのトシにして初めて1から10まで手がけた、業界にとっては毎年恒例の 大仕事が一段落。大げさに言えば、国の動向に合わせた末端の政策作りともいえるか。いろいろいろいろあるけれど、一人一人の子供が自分の人生を決めてしっかり自分の足で歩んでいくことができるように、というスタンスは忘れないようにしようと改めて思う。自分の影響なんか全体でいったらホコリよりも小さなものだけど、関わっている子供にとってはその意志にかかわらず影響は大きい。だからこそ責任があるし、誤解を恐れず言えば、プロ意識も大事だ。しかも、押し付けるのでなく。おもしろいけどむずかしい。

業界臭がプンプンするタイトルになってしまいましたが、去ってしまう3月に入る前に、2月のことを記録しておこうと思います。

島の2月は、フンクサで始まります。簡単に言うと節分です。
以下、島の小学生が使う副教材本より抜粋。
〜〜〜〜〜〜
 正月と節分に決まった人が村の家々をめぐり、祝福して歩くという習わしがありました。「フンクサ」は、この古くから伝わる節分の行事で、その昔は各家を回って祝いの歌を歌い、もてなしにあずかっていました。
 いろり裏の客座に立て膝で座り、みそをつけた魚を竹ばしでつまんで「フンクサ」の唄を唱え、そのあと「福はうち、鬼の目を射て鬼は外」と言って豆まきしたといいます。
〜〜〜〜〜〜
今、フンクサができる方は70代の方お一人。誰かが後を継がないと、なくなってしまう。。。
そんなこともあるのだと思いますが、学校では毎年行っています。衝撃的ですよー、とか、笑っちゃだめですからね、とか周りからいろいろ言われていました。子供に、フンクサってどういうことするの?と尋ねても、「○○さんが、フーンクサっ、フーンクサっって言って、豆を投げる」と言うばかり。そんなわけで、当日を楽しみにしていました。
実際に目の当たりにしてみれば、笑いたくなるようなことはなく、厳かな感じの儀式で、島の魚を炙って(イワシと同じような意味)、人々の健康と長寿、大漁、豊作を願う、祝詞のようなものを唱えて、最後に豆まきをする、といった行事でした。
私は、職場の伝統文化担当なので、この行事の進行役をしていました。新しく来て、何もわからない人がこういう役回りになるってどうなのか、とは思いますが、それはおいといて、事前情報がまったくないまま、フンクサが始まると、「8センセ、恵方の窓を開けてください」と言われ。。。ちょうど、子供たちの座る真正面の窓を開けました。が、この日は、荒れ荒れの日で、下が外に向かって斜めに開くタイプの窓が、強風にあおられてすぐに閉まってしまいます。そこで、何かストッパーを、と思い、その場にあった、ホワイトボードのクリーナーをはさんでみたところ、強風で煽られたタイミングで、そのまま下へ落下。もう一つのもう少し大きいクリーナーを再度ストッパーにしようとするも、また落下。会場は、傾斜地にあり、ほぼ、3階の高さで、子供たちの前は、全面がガラス張り。厳かに祝詞が流れフンクサが進む中、子供からは落下するクリーナーが2回とも丸見えでした。さすがに島の子供たちは、誰も笑ったり動じたりしませんでしたが、大人は何人かニヤニヤしていたようです。私は必死に手で窓を押さえていました。後から、聞いたところ、昨年までの恵方は、今年のように窓を開ける必要がなかったそうで、誰もが予想しなかったことだったようです。
この行事の後、子供達全員が感想やお礼を書いてフンクサをやってくださった方に届けました。小学生男子は、「僕が大人になったら、フンクサができるようになりたい」と書き、もうすぐ島を旅立つ中3は、「受験を控え、この1年健康に過ごすことができたのも、フンクサのおかげだった。島でのフンクサは今年で最後だが、今年もがんばりたい」というようなことを書いていて、なんだかジーンと心が熱くなりました。
フンクサを行った方は、元村長にして、今年歌手デビュー。月に一度、郷土芸能保存会の会合でお会いするのですが、レコーディングをした後、しきりに、島踊りは、唄い手を育てていかなければすたれてしまう。そして、島唄も、譜面に起こしたりして、正確な音程を伝えていかないとだめだ、とおっしゃっています。楽譜で表せないような、味は薄れてしまうかもしれませんが、譜面があると、わたしのように、外から来て、継承の手伝いをする者にとっては、とっつきやすくなると思います。

2月は、また別の島の方に教えてもらって子供と一緒に昨年末から作っていた、為朝凧を揚げました。いい風が吹いている日だったので、よく上がりました。大人は、竹を割ってひごを作るところからの作業で、けっこう難しかったです。最後に凧にしなりをつけるために張った糸に、ツルっとした丈夫な紙の羽のようなものをつけるのですが、これは、強風ではためいて、ビーッと音が鳴らすためのものです。そして、凧の足は、直径7ミリくらいの紐(ロープ)なのです。その長さ、7メートルくらい。私が知っているような、和紙の数十センチの足ではまたたくまにちぎれてしまい、凧のコントロールはできないのだと思います。

たった一人の8組とペアになってずいぶん長い時間、ヘリポートで楽しむことができました。(写真はその日のものです)
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