2019年1月21日 (月)

みのり

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仕事の中でいちばんおもしろいのは、なんといっても授業。同じ年齢の子供相手に、同じ題材を扱っても、まったく同じ展開にはならない。目の前にいる子供に合わせていろいろ変化させるのも面白いし、授業の準備から自分が学ぶことだらけ。
きょうは、今年度のうちの職場のテーマであった人権教育の授業を行った。事情により、子供はたった一人。日本に暮らす外国人が困っていることについて知り、2月に行う国際交流会の講師の方にじぶんたちができること(あまり使いたくないが、「おもてなし」)を考える時間にした。冬休みに人権プラザなどに、足を運んで、取材した甲斐あって、子供が考えるための材料が十分そろえることができた。
自分なりにこの1年人権教育に真面目に取り組み(取り組む機会はこれまでに何度もあったのですが、初めて1から勉強したという意味です)、今年も、やってよかったなあと幸せな気持ちになっている。特に新しい提案性のある取り組みだったわけではないが、きょうは、温かい気持ちで2人の帰りの会を終えた。
そして、かなり前のことになるが、育てていたお米が、なんと3.5キロにもなり、いよいよ今週の給食に登場する。文字通り、実りがあったなあ。昨年は、試行錯誤の連続で、着色米も未成熟なものも、すべて手で籾すりをして、やっとおにぎり8個分のお米だった。今年は、中心になって学習として活動する5年生が不在のため、稲刈り、脱穀後は、講師の先生のいらっしゃるJAで精米していただいた。そうしたら、小さすぎる粒など規格外のものは、別の袋に入れられて戻って来たのだ。3、5キロの米は、うちの職場全員の1回分の給食をまかなえるそう。
田んぼの造成をしてくださったり、鳥除けのフレームを作ってくださったりした地域の方もお招きしています。
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2019年1月14日 (月)

強力

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これはなんでしょう。
新年会で披露され味見。
という前振りの新年会とは別の新年会が昨夜催されました。その席で話題になったのがホットケーキ。島に来てから、ホットケーキミックスを使うことを覚え、かなりいろいろなおやつを作りました。が、最近、何を作っても所詮ホットケーキミックスな味に飽きてしまい、ケーキを作るとしても小麦粉から作るものばかりになりました。
昨夜ホットケーキスイッチが入り、今日作ろう!と食品ストック箱(なんです)をガサゴソやってみると、強力粉がかなりある。パンを焼くために買っておいたのですが、最近、できあいのフランスパンミックスを使うことが増え、強力粉が余っているのです。
そこで、強力粉で作るレシピを検索してやってみました。
スフレのようにふくらんだ写真をみながら、準備していざ!
結果。見かけはふつーのホットケーキ。
牛乳を入れ忘れたので、最後に入れたのが敗因だなーと考えながら、ひとくち!!
これが、フツーのホットケーキじゃなかったです。
ふわっふわ。スフレでした。厚みが出れば、スフレです。
おいしかったー。
強力粉消費のために、またやろうっと。

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2019年1月13日 (日)

ちょっとうれしい

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3連休。

初日は、朝、ヘリ予約のため職場に出向き、即帰宅して家事。光ケーブルの工事を待ちながらストックしている食品の整理。夜は島の郷土芸能保存会の新年会。
アカサバのお刺身をいただく。赤身で皮も赤い。うろこが大きくてさばくのがたいへんだそうです。
ちなみに、光が島に来るのは、まだ2年くらい先のこと。今、海底からケーブルを陸に上げるためにボーリング中。
今日は、なまった体をなんとかせねば、と島のてっぺんまで散歩。往復しても30分ほどで、歩数も2000歩くらいではありますが、いつものごとく、360度見渡せる景色を独り占め。ご褒美のように、山頂に立って来た道をふりむくと、虹が出ていました。
昨日の宴会で出た大量の缶とゴミをクリーンセンターに持って行き、ついでに牧場のあるところから海を眺める。クジラのブロウがいくつか見えました。
そして、秋に挿し木したハイビスカス。2本のうち1本は自宅にあるのですが、元気に大きくなっています。鉢をかえなければなあ。
さて、今日は、大ボスのオタクで新年会。鍋です。歩いた分は帳消しだなあ。

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2019年1月10日 (木)

バリトン愛

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昨年の5月から始めたバリトンサックス。

初めてのリード楽器で音がなかなか安定しませんが、現在4曲目を練習中。低音シリーズで鳴らしていれば出る。高音シリーズで鳴らしていれば出る。音が飛ぶと口の構えが瞬時に変えられずたいていは、低音が出ない。
合唱ならアルト。ピアノは伴奏を弾くのが好き。バリトン愛が目覚めてきた。まずい、自前の楽器がほしくなる。バリトンだと手が出ないなあ。中古もあまりないし。。。
3月のコンサートに向けて、sing sing sing鋭意練習中です。

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2019年1月 9日 (水)

島の・・・

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歌 小柳ルミ子 曲 平尾昌晃 で島をうたった歌があります。

「島の別れ唄」悲しいメロディーで、自然の中にあって非力な人間のこみあげる思いを言葉にした唄です。瀬戸の花嫁の頃の歌のようです。
 今日も船は欠航。きのうの船で野菜が入りましたが、おとといまで年末年始船はなかったので、商店の棚はがらがらでした。島の別れ唄に歌われている状況は、今とは比較にならないほど厳しいものだったと思います。
今は、インターネットを通じて買い物でも情報収集でも、顔を見ながら会話を交わすことまでできる時代になりました。
 
それでも、島の食糧事情は、けっこう厳しい。
宅配のクール便は対応していないため冷凍された食材は送ってもらえません。チルド便はありますが、ネットスーパーの生鮮品なども買うことができません。  そんななか、肉を送ってくれる店が山梨にあるのです!先日初めてそのお店で肉を注文してみました。
 肉を送ってくれるとはいっても、2万円以上購入しないと送料がかかります。そこで、同僚と共同で購入するわけです。豚バラ肉や、ひき肉、鶏肉、など島で手に入ります。島で手に入るものはなるべく島で手に入れて島にお金を落とそうと思って暮らしてきたので、今回も島では手に入らない肉を買うことに。
 ラ ムチョップ、スペアリブ、牛すじ肉をチョイス。どれも、東京に住んでいたころだってあまり調理したことがなかったものばかりです。ラムチョップは、北のお友達夫婦とキャンプに行ったときに骨つきのものをシンプルに焼いてくれてとってもおいしかったのを思い出してポチっ。フライパンですが、塩胡椒して焼いただけで立派なごちそう。まあお値段も立派でしたし、思い描いていたより小さかったのですけどね。
 昨日は、牛すじ肉をこれまたお友達の好意で届いたセロリを冷凍しておいたものと、新聞に包んで大事に大事に保管していたキャベツと人参とともに、煮込んでビーフシチューにしました。スジ肉がこんなに脂ギッシュだとは思っていませんでしたが、ル クルーゼ(鍋)で煮込むとそれだけで、とろとろでうまみのあるシチューになりました。
きょうは、島の冬らしい強い風が吹いていました。海も白くなっていました。明日はもともと船の運休日です。シチューはたっぷりできてしまい、これを全部一人で食べると何日かかるかわからないので、昨日帰り道で一緒になった同僚におすそ分けしました。そして、夜サキソフォンズの練習後の一杯のときにも持って行き売り切れました。
島のお肉情報としてもう一つかかせないのが、乗り継ぎの空港のレストランで売っているオージービーフのカルビと、国産豚のロースです。ここから島へはヘリコプターに乗ってしまえば20分だから、冷凍のまま持ち帰ることができるのです。そして、こちらもお値段相当とも言えますが、とっても美味しいのです。島ネイティブの方でも知らない方も多く、ひそかに広めています。うちの島意外の方は、肉のお隣にある(おそらくこちらが販売メインな)島寿司のネタとか、トビウオ団子とかがオススメです。
今日、同僚から、今週末に山梨のお店に注文すると連絡が入りました。気分はラムチョップアゲイーンですが、冷凍庫には空港で求めたカルビもロースもある。。。さてどうするかな。

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2019年1月 7日 (月)

無くて 七草

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 東京で毎日美味しいものを食べたり飲んだりし続けたので、今日は迷わず七草粥です。
 今年は、島に戻る前の晩に深夜営業のスーパーで買い物をする元気がなかったので、乾燥七草のついたレトルトのお粥セットを手に入れて戻りました。2人前の分量だったのですが、残った半分は、スープジャーに入れて明日のお弁当になります。給食がない日のお昼ご飯は、お弁当を作っていくか、自宅に戻って食べるか、唯一の商店でカップラーメンを買って食べるか、なのです。
 小さい頃から、季節や年中行事を大事にする家に育ったので、スーパーでパック詰めされた七草ではありますが、毎年食べていました。そして、父が最後に食べた食事が昨年の七草粥だったそうです。きょうは、母も妹も、みんな別々ではありますが、七草粥を食べたとか。明日は命日。おそらくこれから毎年七草粥を食べるんだろうな。
 無くて七癖・・・自分は「個性がないのが個性」とか、友人の中にいれば「チェイサー」なんて言っていますが、意外にマイペースで癖が強いのかも。

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即興

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八丈島や青ヶ島に伝わるショメ節という島唄があります。ヤァーに続く7音×4の歌詞で一節が完了し、ショメ〜ショメ〜と合いの手が入ります。宴たけなわとなったころ、誰かが歌い出すと、全員が手拍子と合いの手を入れ、歌い手が次々に交代します。定型の歌詞はありますが、どの詞から歌っても自由で、その場にふさわしい歌詞を即興で歌うこともします。
♪ヤアー 中は丸山 まわりは屏風 寒さ知らずの池の沢 ショメ〜ショメ〜♪
といった具合です。
 酒席でこのショメ節が始まると、ちょっと緊張。その場にふさわしい歌詞で何か歌わなければならないからです。こういうのは本当に苦手でした。
 でしたっていうのは、今は苦手度が少し小さくなったということです。学生の頃、バンドに誘われてキーボードを担当していたとき、楽譜があれば何でも弾けましたが、アドリブってやつが恐怖でしかありませんでした。だから、モデルとなる演奏を頭の中で譜面にしてそれを弾くようなことしかできませんでした。
 島に来て、出会ったもう一つの即興が還住太鼓です。一台の太鼓を両面から二人で叩きます。音の低い面で一定のリズムの下拍子を叩き、音の高い方の面でもう一人が自由に叩く上打ちをします。下拍子には何種類か定型がありますが、上打ちには何の型もなく叩き手が自由に創作し、二人で音楽を作り上げます。(還住太鼓の音楽は海のうねりや波そのもので、これについては、改めていつか語りたいことがたくさんあるのでいつか)
 ショメ節にしても還住太鼓にしても、以前の自分だったらきっと固まって何もできなかったと思います。何がどう変わったのかはよくわかりませんが、何かふっきれているというか、自分なんかどうやったってかっこよくなんかないのだから、と開き直っているとでもいうのか、とにかく即興があまり怖くなくなりました。そして、何よりも、音楽が好きなんだなあということを強く再認識しています。
 コーラス、サックス、和太鼓、ウクレレ。もちろん上手くなりたいけど、一番は楽しむこと。誰かのためにやるんじゃなくて、自分が楽しいからやる。即興を楽しめるのもその延長なんじゃないかな。定年後はジャズピアノをやりたい。ジャズピアノでアドリブ。。。できるでしょうか?

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2019年1月 5日 (土)

平成

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飛行機やヘリコプターから見る雲はときに面ツルの雪山に見えます。雪山とご無沙汰しているので、雲の面ツル斜面を見るのがひそかな楽しみなのですが、きょうは見られず。そのかわりに、2019年最初に見る海は、日差しがなく無彩色だったので、見方によっては春の雪山の斜面のようでもありました。
フラット(flat)であったとはいえない。
スムース(smooth)でもなかった。
イーブン(even)であることを心がけてきたように思う。
英語が得意なわけではないので、本来のニュアンスと、自分が思っているニュアンスは違うかもしれない。
 この年末年始、「平成最後の」という冠がいろいろなところで聞かれたけれど、私にとって「平成」は、ドンピシャで「社会人時代」なのです。自分年表があるとしたら、平成時代はまるまる社会人時代。とくに感慨深いとかそういうことはないけれど、そろそろ定年後のことを考えながら暮らそう、というタイミングでもあり、平成が終わったからといて生活スタイルはあまり変わらないだろうけれど、ずっと同じ仕事を続けてきたので、平成が終わったタイミングで第4楽章が始まる感じか?ベートヴェンの第九の第4楽章を思うとちょっと違うか。小学生の作文でいうと、「はじめ」「中」「終わり」(文章の段落構成です)の「中」の最終部分に入ったということでしょうか。「終わり」に入っている意識はまだないので。
 今年の冬休みも、東京に戻ってきてたくさんの友人や家族と会い、美味しいものを食べたり飲んだりして、ほんとうに人に恵まれていることを改めて感じました。その合間を縫って、東京でなければできない仕事関係の情報集め。何年ぶりだかわからないけれど、紅白歌合戦を最初から最後まで全部見ました。箱根駅伝はもちろん、とんねるずのスポーツ対決、消えた天才、最後はアナ雪(未見でした)で締めくくり、とめずらしくテレビをよく見たお正月でした。
 
 今年実現したいことはいくつかあるけれど、力まず穏やかに進んでいきたいと思います。最後に残るのは人と自然。ものを減らしながら食・住・衣を豊かにするための知恵とセンスだな。とかく自分勝手になりがちな環境にいるので、イーブン。バランスをとるには、遠くに視線をやることも大事にしよう。
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 父が亡くなって初めてのお正月。思い出話もしたけれど、それぞれの今の話がたくさんある幸せ。父もどこかで聞いていたことでしょう。
 

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2018年10月 9日 (火)

実りの秋

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今年も、職場の田んぼは、金色の穂が頭をたれています。昨年は、園芸用の支柱にアミをはって、タープの容量で鳥よけネットを作り、途中2度の台風で支柱がかなり折れて、周囲の樹木にラインをつないでテンションをかけてしのぎました。

今年は、村の方のご好意でこんなに立派なハウス状のネットをつけていただきました。
昨年はこの時期の大雨で稲が倒れてかなり発芽してしまいましたが、今年は、そこまで大雨が降っていないのですが、根元から20センチほどの高さに竹の柵を設置した効果で今の所収穫増が期待されます。昨年は、大きめのおにぎり8個分4、5合の収穫でした。
25日が稲刈りです。楽しみです。
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そして、隣にあるかんも(芋)畑。こちらも、いいかんじです。芋ほりは、11月中旬。焼き芋も作ります。

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2018年10月 3日 (水)

季節はめぐる時代はまわる

10年前の8組も6年生だった。
読み返すと、同じようなことを繰り返しているようで、確実に8組とわたしを隔てるものは深くなっている。それは、ジェネレーションギャップでもあるし時代の流れでもあるように思う。
卒業後10年間の自分を支える1文字を選び調べ表した学習「文字の贈り物」。成人式で2年前に会ったけれど、みんなどうしているだろう。
そして今年の「文字の贈り物」はどんなコンセプトにしようか。

http://diary.powdermonkeys.net/hatchi/20080326.html

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2018年10月 2日 (火)

折り返し

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職場玄関横のハイビスカス。2階にとどくくらい大きな木でした。真冬以外は一年中赤い花をつけていました。
昨年の直撃台風で、折れてしまいました。
今年、新しく来た同僚に樹木の剪定が得意な方がいらっしゃり、折れた枝を処理して、挿し木してくれたのが春。その枝に根が出てきたので、2本分けてもらいました。
一本は職場8組に。もう一本は住宅に。
何やら虫に食われたりしていますが、花が咲くまでになってほしいです。
それにしても、台風の影響はまだ続いています。今夜はだいぶ風がおさまったとはいえ、まだ船は来そうもありません。そうこうしているうちに、25号の影響が出始めるのではないかなあ。いただきもののゴーヤとピーマンでしのぐ2018後半スタートの日であります。

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2018年4月 8日 (日)

333

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エジプトで飲んだビールは333でした。
ビールをネットで探していたら、この銘柄もありちょっとびっくり。味は、特に印象に残っていませんが、島生活3年目、8組構成員3人、父の3回目の月命日ってことで、なんとなくこのタイトル。


8組的な目標は、「最高学年」「最幸学年」。
もしかすると、卒業生を担任するのはもう最後かもしれません。子供の思いを取り入れることはもちろんですが、やりたいことをやってしめくくりたいと思っています。
島の生活面でも、自然を味わい尽くそう、と思っています。
荒天の日以外は、車通勤はやめて、歩いて通勤するつもりです。

先日、島の観光スポットでたったひとつまだ見ていなかった名主屋敷跡に行ってきました。
噴火により全住民が島から避難したあと、島に還り住むことを指導した人のお屋敷の趾です。隣には現在も牛を飼っている方の御宅があり昔ながらの生活が感じられる場所でした。

今年度の目標として、車通勤で体力も落ちていると思うので走ろうか、と思ったのですが、道路を走るよりも、週に一回でも大凸部(島の最高峰)に登るほうが自分らしいなあと思い直しています。なにしろ、島のてっぺんで、360度見渡せるので。


夜のサークル活動の皆勤と、苦手なルーティンワークを続けること、をテーマに平成30年度スタートしました。

追記
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本日、今年度2度目の大凸部山頂、行ってきました。昨夜テレビで見た角幡氏の「極夜」で自然の中にある人間というものを強く感じたのですが、同じ場所に何度も行くことで見えてくるものもあると思っています。今日は、雲が海に映っていました。島の西側が簡単に見られるのはここくらいだと思います。下に見える道は、港に行く近道だったのですが、3年前に崩れて現在通行止めになっています。


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海は荒れていて、船は東京待機2日目です。明日の昼までは東京待機だそう。つまり、明日も船は来ません。これは、港のライブカメラをテレビで流しているもの。釣りをするのもこの桟橋。海で泳ぐのも、画面の一番手前の波で白くなっている部分。島の方が誰もいない今日のような日は、近づいてはいけない、と言われています。桟橋は、濡れると海苔でツルツル滑るので、車ですら簡単にさらわれてしまいます。

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2018年4月 1日 (日)

それぞれの春

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この春島を離れる同僚が全員島を去りました。明日、新しい方がいらっしゃいます。
人はそれぞれ感じ方が違って、どの感じ方がよくて、どの感じ方が悪いということではないと常々思っています。ですが、世間一般と自分はズレているかもしれない、と感じることが多くなったこのごろ。
多様な感じ方をよしとできることと、自分の感じたことに自信がもてないことは何か関係があるのだろうか?
自分の知っている範囲のことから、スパッと感じたことを言える人が多くて、すごいです。
島を離れる乗客がいるとき、ヘリは天候が許せば島の上空を一周してくれることが多いのですが、この春は、風が強かったせいか、ぐるりと一周してくれたヘリはあまりありませんでした。
今日のパイロットは回ってくれて、「おもうわよ」の幕を空に向けて見せました。

島に来て1年目の人が「きょうのパイロットはさすが!かっこいいよー」と叫んでいました。
数日前、島の人が、まっすぐ飛び立ってしまうヘリを見ながら「粋なパイロットが減ったね」と言っていましたが、その思いと1年目の人の発言はまったく重みが違うと思ってしまいます。きょうは、天候もよく、回ってくれたことはほんとうによかったなあ、と思いますが、なんていうか、自分のような島に浅い人間がパイロットを評価したりしちゃいけないんじゃないかと思ってしまう自分がいます。


別にけなしているわけじゃないからいいのですけどね。
人は多かれすくなかれそれぞれこだわりがあって、自分でそこと折り合いをつけて周囲とやっていくことができればいいのだなあ、とそんなことを考える年度はじめです。
さて、もう少し残った仕事をしてきます。
あとで、書き直すかも。

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2018年3月12日 (月)

北に向いて手を合わせる

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横浜駅で◯◯(8の名前)と別れる。いつもとは違って万感胸に迫るものがある。

1月3日に記された父の日記の一文です。
この日は、わたしと両親で横浜のデパートに出かけ、誕生日プレゼントだといってペンダントを買ってもらいました。ここ数年、お正月実家から戻るときに初売りのデパートに寄って、近くのホテルのティールームでお茶を飲んで別れるのが恒例でした。両親も年をとっているので、わたしはそのまま横浜で友人と待ち合わせがあったのですが、改札口まで連れ立って歩き手を振って見送りました。これが私が父を見た最後の姿になりました。
昨年末からお正月にかけて毎日実家に顔を出し、2日、父母と自分でいつもの神社へ初詣。例年と違ったのは、タクシーで出かけたこと。6年前に大腸ガンを患った父は、その後転移なしとのことで元気でした。でも、最近、肺に影が見つかり内視鏡検査を勧められたものの、「今なんともないので積極的な検査や治療はしない」と私たちにも医師にも伝えていました。夏に実家い戻ったときは、まったく普通に元気でしたので、あまり頻繁に連絡もしていませんでした。年末に「便りがないのはよい報せ」ってことでしょう?と何気なく話すと、父が「いやそうでもなくて」と。秋ごろから咳が出ることが増えたといい、肺の影はガンに間違いないだろうとのこと。駅ではエレベーターやエスカレーターを利用するようになっていました。そして、開胸検査や手術をしてガンの様子の詳細を調べる代わりに1月9日にPET検査というのを受けることになったと言っていました。父が医師に余命を尋ねると、一週間かもしれないし、数年かもしれないと言われたとのこと。私がこのお正月の次に帰省できるのは、夏なので、「次のの夏までもつか?」と尋ねたら「なんとも言えません」と言われたと話していました。
私が島に来ることが決まったとき、また、島に来てから帰省するたびに、父は「俺が死んだら、こっちの方に向かって手を合わせてくれればいいから」と言っていました。わたしや母が、そんなこと言わないでよ、と言うと「死に目に会えなかったら(島から来られなかった場合)ずっと一生気にするだろう?お父さんがそう言ってたと思えば気が楽じゃないか。」と。
また、父は、数年前、これから相続の勉強をする、と言って、図書館に通っていました。我が家では、けっこう前から、両親が長期の旅行に行く前には、ここには印鑑がある、とか預金通帳はここだとか、もしも父に何かあったらこれくらいのお金がある、とかそんな話を冗談交じりで家族団欒のときにしていましたので、その延長だ、くらいに思っていましたが、今思うと本当に頭が下がります。
だいたい月一回の旅行と映画やコンサート、週末の囲碁、とアクティブな父でしたが、海外旅行に行かなくなり、山登りをしなくなってできた時間を、身辺整理や相続の準備にあてていたようです。そんなに遠くないいつかのために、家族のことを考えた遺言的なものをパソコンに保存してあるから、と年末に見せてくれました。そして、相続についての本を見せながら、これはわかりやすい、読めばだいたいのことはわかるから、と一部のページをコピーしたものと、父の作ったエクセルの書類を渡されました。その時は、こんなに早く別れがくるとは思ってもいませんでした。亡くなった後に分かったことですが、父の子供の頃からの分厚いアルバムも整理したようで、新しいアルバムに写真を抜粋して貼り直してありました。母が買い物に行っている時間にそういうことをやっていたようでした。
1月4日。
私は予定通り島に戻りました。島に着いてすぐ実家に電話をしたとき、出たのは父でした。なんだかブツ切れで電話が切れてしまったのが気になり、買い物に出ていた母の携帯に電話をしましたが、その後何も言っていなかったので特に気にしていませんでした。
6日の午前中に父からのメールで知ったのですが、実は、この4日の朝、父は自力で起き上がれなかったそうです。母の助けを借りて起き上がったこと、こんなことは初めてだったので、翌日、病院へ行き、毎週通院することになったこと、場合によっては入院もあり得ることや9日の検査は取りやめになったことが書かれていました。
年末に肺がんのことを聞いていたのは、母と私だけだったので、妹たちにもこの状況をしらせてくれ、とも書かれていました。実は私は、お正月に妹たちが実家に集まった帰り、見送りながら妹たちに父が肺がんで、もしかするともうそれほど長くないかもしれない、ということをかんたんに話していました。すぐに、父のメールを転送して、父にも返事を打ちましたが、いや、電話だ、と思い電話で話しました。これが、父との会話の最後になりました。
父は毎日日記をつけていたのですが、そのためのメモがいつも座っていた椅子の横のマガジンラックに入っていました。もともと読みにくい文字を書く父でしたが、おそらくだいぶ力が入らなくなっていたのか疲れていたのか、いつもにまして解読が大変な文字でのメモでした。6日か7日のメモには、「昨日のパソコン作業が思いのほか疲れた」とありました。後で確かめると年末に私がもらった書類をさらに亡くなる前日にも更新してありました。
1月8日朝、休日でしたが、ヘリ予約があるので職場に行こうとしていたら、妹から電話。「お父さんが救急搬送された。今病院に向かっている。」
ざわざわしながらも、職場でヘリ予約の電話かけをした後、母に電話。わたしはまだ、父に息があると思って話していました。その後、母から「お父さんが今朝亡くなりました」とメールが入っていたことに気づきました。
父は、8日の朝は普通に一人で起きたそうです。夜中に咳をしていたので、もう少し横になって休んでいたら?と母が声をかけたそうですが、起きてきたとのこと。着替えにも息が上がるくらいだったようで、母が着替えを助けている途中で力が抜け崩れるように倒れたそうです。
4日の日記には、「まだ寝たきり老人にはなりたくない」と書かれていました。きっと、そんな思いで8日の朝も起きたのだと思います。
 
わたしは、 島の洗礼を受け、9日はヘリが飛ばず、10日に出島。妹たちが葬儀の手配などはすべて進めてくれていました。
父が、島から手を合わせてくれればいい、と言ってくれていなかったら、島に来たことを後悔していたと思います。
ライフラインの名義変更や父の確定申告の準備を進めながら、大切なものがきちんと整理して保管され、領収証などすべてがクリップなどでとめられ整然と残されていることに、感謝しつつ、我が身を振り返ると反省するばかり。
父が年末に見せてくれた相続の本には、茅ヶ崎の本屋さんのブックカバーがかかっていました。いったいいつ買ったんだろう、と疑問に思っていたところ、なんと、スイカの履歴まで定期的に打ち出してそれもまとめてありました。履歴を見て母と話しているうちに、ちょうど1年くらい前に二宮に菜の花を見に行ったようでその帰りに立ち寄ったということを母が思い出しました。
苦しむことなく、自宅で、長年連れ添った母の眼の前で息をひきとったことは、父にとって幸せだったと思います。
こんな個人的なことをここに書くのはどうかなあ、と思いましたが、ここを読んでくださる方の中には、父に会ったことのある人もいるので報告を兼ねて。
年末年始とずっと一緒にいたので、離れて暮らしているわりには後悔はないのですが、ただ一つ後悔すること。元旦に、孫まで全員集合したときの記念写真に、わたしは、酔っ払っていてただ一人写っていないのです。これがあなたの「なんだかんだいっていちばん頼りにしている」といっていた娘ですーーーー。
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2016年10月尾山展望公園にて (撮影8)

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2018年1月 5日 (金)

寂しいメダカ

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10日ぶりに教室に行った。湿気対策でエアコンを常時稼働させておくのが普通だった昨年度はあまり感じなかったけれど、今年は乾燥していることもあって上の方針が変わりエアコンはオフになっていたのでどん冷えでした。伊豆諸島最南端、というと暖かいイメージがあるけれど、気温は10度を切っている。

6月頭に、青い航空会社の人に特別にお許しをもらって東京から持ち帰ったヒメダカ20匹。卵を採取して、20匹くらいの赤ちゃんメダカが産まれた。保育園水槽で隔離し、だんだん数は減ってしまったけれど、冬休み前には、1センチ強のメダカが5匹、20匹のうち7匹が生き延び、大人水槽で泳いでいた。確かに。

毎朝、教室に行くと、まず2つの水槽をのぞきしばし癒され、子供が帰った後、また水槽を眺めて諸々リセット。そんな習慣で、今日も、まっすぐ水槽へ。まずは、保育園水槽。3匹しか見つからない。5匹のうち2匹は産まれた時期が少し遅かったこともあり、なかなか大きくならなかった上、ちょっといじめられていたので、お亡くなりになったのかもしれないなあ。続いて大人水槽をのぞく。水温も低いので、メダカも動かないだろうと予想はしていたけれど、3匹しか見当たらない。水草の影にいるのかも、とピンセットで水草をかきわけたけど、やっぱり3匹。水を少し揺らしてみたけれど、3匹しかいない。メダカは弱ったり、お亡くなりになると、共食いもするし、タニシもメダカを食べるので、今までも、亡骸が見つかった個体は4匹ほどだった。子供メダカは、暖房が効いてきたら4匹確認できた。合わせて8匹。

暖かい職員室に移動させなかったことが悔やまれます。
次に5年生が在校して教材で使うまでなんとかブリーダー活動を継続しなくては。。。
雌雄の確認を忘れたけれど、残っている大人メダカが全部同性だったら、今年は赤ちゃんが生まれないなあ。ここも少子高齢化問題か。

画像は、無関係ですが、昨年末の誕生日、休日だったのに一人でご飯作って食べて、という日だったので、何か新しいことをしよう、と思い立って作った(といってもホームベーカリーの作品だけど)チョコメロンパン。

まだ帰省している同僚が戻っていないので住んでる住宅はわたしだけ。PCからBoseに飛んで鳴り始めたのは、CLIMAX80'sでした。誰もいないから、大きな音で、節操なく感じるラインナップのBGMです。

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2018年1月 4日 (木)

夜空よ今夜もありがとう

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本日予定通り島にもどりました。
東京湾から富士山まで、霞んでいましたが、雲に遮られることなく見渡すことができました。
昨年は三が日のうちに帰島したからか、気付かなかっただけか、わかりませんが、東京湾にはたくさんの船が動いています。子供の頃、鉛筆のお尻の方を手のひらで抑えて芯を滑らせて線が書けたところまで進めるという軍艦ゲームというのがあったのを記憶していますが、まさにそれのように、たくさんの船とその大きさに見合った航跡が見え、ラインもないのによく衝突しないなあと、感心します。こんな中で漕ぐ時、カヤックは最新の注意が必要だな、と改めて思ったりもしました。

たった2名しかいない8組っ子は、二人とも今年になって誕生日を迎えました。
島にはケーキ屋さんがありません。バースデイケーキは手作りするか、隣の島に注文して、ヘリコプターに乗ってくる島民に預けて膝の上にかかえてもらい、ヘリポートで受け取る、かどちらかです。
そんなわけで、妹(の働いているケーキ屋さん)に無理を言って、生バースデーケーキを二つ用意してもらいました。ものすごく喜んでもらえたので嬉しかったです。
昨年は、グーテデロワ(新年を占う陶器のマスコットが埋められているパイ)頼んでいたのに東京の自宅玄関に忘れてくるという失態を犯したのは時効ってことで。
立場で考えたら、ここまでするべきことじゃないという考えももちろんありますが、たった二人だし、ここならではだし、です。

島に戻ったら、さっそく島の青年からお呼ばれ。一緒に飲んだことはあるけれど、初めて誘っていただいたので、梅酒を持参していっぱいだけ飲んで帰ってきました。満天の星空の下を歩きながら、フェイスタイムでこの星空は映るかなあ、などと考えていましたが、帰り道、空は雲がいっぱい出ていて星は見えなくなっていました。

明日から、本格始動です。

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2018年1月 1日 (月)

わたスキ

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各地からの雪だよりが早かった今シーズン

12月28日ガーラ湯沢で滑ってきました。

島生活スタートのために、気持ちも道具もシーズン納めをしっかりできなかった2015-2016シーズンから、滑走日数ゼロの2016-2017シーズンを経て、装備も気持ちも技術も不安でしたが、ちゃんと(師匠にはそうは言ってもらえないと思うけど)踵自由滑走ができましたことを記録しておきます。

マイナス6度、外遊び用のよいアンダーなどは島に置いてきてしまったので、けっこういい加減なウェアも相まって寒い寒い。

現地で収納袋から取り出したヘルメットは、表面がペタペタになっていました。まだまだ使えるつもりだったのにショック。今回はそのまま使いましたが、ザックなどと同じでどうにもならないと思います。

板は、古いサイコ。バインディングもちょこっと欠けていることを忘れていました。セッティングしてしまえば何の支障もありませんが、着脱がしにくくグローブ泣かせです。

今回の特筆事項は、なんといっても、JRスキーで行ったということです。

まんまわたスキ世代なもので。

8100円で往復新幹線にリフト券付はお得でした。

でも、スタイルだけは、ニセコな方々の真似をして、昼過ぎにはあがり、ガラガラの新幹線で東京に戻り、夜は宴会に参加とあいなりました。

テレマークの師匠には、シーズンインは斜度のないところでしっかりポジションを確かめるように勧められています。

今回も、ひさしぶりだったので、最初はゆっくり確かめながら緩斜面を滑ると、けっこう覚えてるじゃん、という感じ。しかし、雪がガーラとは思えない柔らかさなので、だんだん調子が出てきてしまい、最後は下山コースで売り切れました。

おそらく、今シーズン最初で最後の滑走ですが、楽しかったー。

本格復帰の時は、何から何まで買い替えでしょう。お小遣いためておかなくちゃ。

板(まだいけるかな)、バインディング、ウェア(まだいけるかな)、ザック(まだいけるかな)、ヘルメット。。。確認してないけど、シールはだめかも。

そうだ、スキーの前日、ブーツを出してみたら、サーモインナーにカビ?疑惑。

なにしろ、カビには敏感な日常生活を送っているものですから。

でも固く絞ったもので拭いても変化なし。においもまったくなし。手で触っても何もなし。

もしかすると、マーブル模様だったのか?そう信じることにします。

ということで、今日は、帰宅後ウェア(おそらく島に行く前に洗濯はしていない)を洗濯乾燥し、装備全部を部屋に並べて乾燥中。

雪山遊びの体力を維持するために、島に戻ったら走るぞ、と日記には書いておこうと思います。

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あけましておめでとうございます

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いろいろなものやこと、自分を見直すことができた2017

特に友達や仲間など人のありがたを強く感じる1年でした。

会って、語らって、飲んで、食べて、受け入れてくださったみなさま、ときどき思い出してここを訪れ気にかけてくださったみなさま、ありがとうございました。

2018年は、これからのことを考えながら、まさに「8の素」を濃縮する1年にしたいと思っています。

しばらくは、いつでもどこへでも、というわけにはいかない生活が続きますが、本年もどうぞよろしくお願いします。

平成30年1月1日 

画像は、今年のおせち 花形人参マスター。たつくりときんとんは8作。

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2017年11月12日 (日)

はじめての。。。米作り

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この記事を書こう書こうと思っていたのですが、

いろいろなことがあり、停滞していました。
小さな島だからこその難しさを味わいながらも、最近のトピックナンバーワンは米作りです。
春休みに突然学校の畑として借りている土地にユンボが入り、田んぼが拡張されました。
そこに毎年お願いしているJA山形の方を講師に招いて、6月に田植え、その後主にメールで米作りの指導を受け、10月27日に無事稲刈りが行われました。
昨年までは、田んぼが小さかったためあまり収穫量はなかったようですが、今年は、10平方メートル超えです。直撃されることはなかったものの、台風の影響でかなりの稲が倒れてしまいました。水を抜いて発芽しないようにしましたが、その後、また大雨に見舞われ一部発芽してしまいました。
それでも全ての稲を刈り取りました。
ここからが問題です。昨年は、割ってない割り箸を少し広げて稲(わら)を挟み、こそげ取る形で脱穀していたそうですが、手作業でそれでは、らちがあかないほどの量です。
ネットで「せんばこき」を検索すると、昔の道具としての資料用というかんじで、足踏みの脱穀機がヒット。それ自体の価格は10000円しないくらいなので、買ってもいいかな、と思いましたが、重いので送料がばかにならないのと、離島に送ってもらうのは難しい、という壁にぶちあたりました。
どうしようかと思い悩むこと数日。たまたま話していた島の方が麦用の足踏み脱穀機をお持ちだとのこと。貸していただけることになりました。稲刈りの日にその使い方も教えていただき、一気に脱穀が完了。
稲がかなり倒れて枯れていたので、脱穀したものは細いワラごと、といった感じ。
そこからが、また大変でした。
まずは、もみを集める。そして、ワラに籾がついているものをより分け、そのワラから籾を手作業で取るのです。
普通の規模の学級なら人海戦術でなんとかなるのですが、なにしろ今年の8組は2人。わたしも勘定に入れても3人。なんとか、ワラの細かいものと混在してはいるものの籾つきの穂の部分を選別することができました。
ここからが、さらに難題でした。籾すりです。 ネットで家庭用の精米機を見つけたときは、籾のまま入れれば精米できると思い込んでいたので、これでばっちり、と思っていたのですが、籾摺りはできないと判明。
昔ながらの一升瓶に籾をいれて棒をさして、上下する方法を試してみましたが、あまりうまくいきません。
ネットで検索すると、軟式野球のボールとすり鉢を使って籾すりをする方法がヒット。
軟式野球ボールはなかったものの、ソフトボールとすり鉢で籾摺り開始。
1時間あげてちまちま作業をするもらちがあかない。途方にくれていました。
籾摺りした後も大変です。籾がらと玄米を分けるのが。。。。
ピンセットで米だけ拾っていましたが、これまたいつ終わるかわからないような作業量。
そこで、籾摺り後の籾からと玄米が混在したものをザルに入れて、ザルの下から理科の実験よう送風機を使って風を当てて籾がらを吹き飛ばす方法をとりました。
周りが大変なことになるのですが、教室外のテラスに送風機を出して、そこで行いました。
ここまでくると、お米にして食べることが頭に浮かびます。
稲刈りをしたら、最初、あとは精米すればよい、と簡単に考えていたので、密林さまで、精米機を検索していました。
家庭用の小さな精米機ならば、これまた10000円しないで買うことができるので、ポケットマネーでなんとかしようという企み。
そんなわけで、現在、1号ほどの白米ができています。
投資したもの。
検査用籾摺り器。(鉛筆削りを小型にしたようなもので、一回に籾摺りできる量は大さじ一杯くらいのものですが、籾がらと玄米が別になってとり出せるのでかなり効率アップしました)
軟式野球ボール6個。(ソフトボールより格段にはかどります。すり鉢かザルに籾を入れてボールで底に擦り付けるようにすると籾がとれます)
精米機。
まだまだ遠い道のりですが、おにぎりにして、食べるぞー!!田んぼを作ってくださった方にもおにぎりを差し上げるのがいまの8組の目標です。
写真は明日!カメラを職場に忘れてきました。

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2017年10月30日 (月)

手仕事

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少し前のことになるが、PTA主催の作品講習会なるものに参加した。
以前の職場でも似たようなものが開催されていたけれど、たいてい、子供のいる昼間に保護者向けに開かれていたので、興味があっても参加できなかったので、はりきって参加。
こちらでは、広く村民からも参加者を募り、講師になることができる島民や教員が講師になり、材料をまとめて購入して、最近流行り(らしい)ハーバリウムから、コネペタせっけん、という粘土細工のようなちびっ子でもできるものまでいろいろな講座が開催された。
わたしは、エコクラフトを選択。
作成したのが、写真のかごバッグなのです。
もともと、工作などは好きで楽しかった〜!!
そしてはまった〜!!

ということで、すでに、自分でも材料をポチりました。
制作にかかった時間合計6時間程度でしょうか。
講師の先生から、中に好きな柄の布をはったり、口に布をはって、きんちゃくのように紐でいめられるようにしたり、いろいろアレンジできる、と教えてもらいましたが、とりあえず、何も材料がないのでこのままに。
これ、ちょうど、ビール3缶入るのです。呼ばれしたときに、ビールを持参するのにも使えそうですが、こちらに来て浴衣を着る頻度が高いのでそのときにもつのにぴったりだと思います。
材料などを少し。
これは、もともとは昔ながらの米袋の口をしばるためのものだった、1、5センチ幅くらいの平たい紙ひもでできています。
このひもは、細いこより状のひもを12本並べてつないであるものです。これを必要に応じて、4本とか、2ほんとか3本とかの幅に裂いてそれを編むのです。
接着は全て木工用ボンドで、仕上げにニス塗りをしてあります。ニスのおかげでかなり丈夫です。500mlのビール3本入れても大丈夫です。
テープはいろいろな色があり、本も何冊もでていて、かごのデザインもいろいろあります。まずは、これと同じデザインを色違いで作ってみようと思います。

閑話休題。
おとといの居酒屋八は、盛況でした。先週は職場でいろんなことがあったため、若者が予約来店。その後、別の集いが終わった若者が流れてきて日付が変わるまで。
今回のメニュー 覚書
カボチャサラダ(ひんぎゃで蒸したカボチャをペーストにしてアーモンドと玉ねぎを投入してマヨネーズで味付け)
玉ねぎとひじきの甘酢サラダ
ひたし豆
和風ポークソテー パイナップル味噌ソース
千切りキャベツ
きゅうりのオクラの佃煮和え
栗ごはん(の素を送ってもらったのでそれを利用)
ビール サッポロクラシック富良野ヴィンテージ
青酎みかん酒
予約来店した若者男子提供
自家製チャーシュー(美味しかった!)
煮卵
ムロアジのなめろう(栄養士作)
同僚向けに、でも宣伝はせずに細々と開店するコンセプトだったのですが
同僚(もれなく若者)が本物の居酒屋でしゃべったらしく、島民のお客様が来て
びっくり。
家呑みの日、というより、ちょっと忙しくても料理をしっかりするメリハリがつくきっかけでもあります。限られた材料でバリエーション豊かなメニューに挑戦という感じです。

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