食事大事
実家で母の食事を作るようになって、メニューがかぶらないように姉妹で写真を回覧していました。それなら、と1年ほど前に始めたインスタグラム。施設に入ったので母のために作ることはなくなりました。自分のためとなると品数や見た目のレベルが下がるのはもちろん、作る回数が激減。
実家で母の食事を作るようになって、メニューがかぶらないように姉妹で写真を回覧していました。それなら、と1年ほど前に始めたインスタグラム。施設に入ったので母のために作ることはなくなりました。自分のためとなると品数や見た目のレベルが下がるのはもちろん、作る回数が激減。
勤労感謝の日に、自分への勤労感謝としてハイキングに行きました。小田急新松田駅からバスで谷峨駅へ。そこから2時間程度歩いて大野山へ。山頂は牧場跡地だとのことで大変広く、人の多さはきになりませんでした。富士山を拝むこともできたし、ポカポカ日差しも気持ちよく、下山して温泉に入り、打ち上げでお酒を飲み大満足の一日でした。
8の素に記事を書くのが1年ぶりの言い訳ではありませんが、この1年はずっと少し働いて、介護の状況はいろいろ変化していますが命を支えるためのサポートが最優先。大好きなアウトドア遊びは、ごくたまに行くカヤックと山のみで、友達と会って食べたり飲んだり喋ったり観たりという街遊びも、居酒屋はちも開店休業状態です。鬼のように働いていた頃は、家の中が散らかっていようが、睡眠不足だろうが、遊ぶことでバランスをとっていたのか、ほんとうに常にめいっぱい時間をやりくりして時間をお金で買って遊んでいました。
今は時間や仕事には余裕があるのに予定が迫ってくると、なんとなく山行くのやめようかな、という億劫な気持ちになるのはどうしてなんでしょう。それでも、やめずに行ったら、歩いている時も、その後も本当に幸せな気持ちになりました。行ってよかった!
今朝、通勤しながら、今日の仕事に対して「まあ子どもが楽しんで学んでくれればいいや」とものすごくおおらかな気持ちの自分がいました。これは絶対遊び効用。
紅葉は今ひとつでしたが、切り取った写真は美しいです。
家族とは別に、素を曝け出して笑ったり話したりする時間は貴重だなと思いました。心の刺激。わたし、遊ぶために働いているってずっと言い続けていました。正規の職を退職した後、なんとなく生活のために働いている感が強くなっていたんだな。遊び大事!と改めて思う週末です。
わたしは初めてのことについて、とくに要領が悪い。臨機応変に対応する力はある方だし、初めてのことにとびこむのはあまり抵抗がないほうだと思っている。でも、真面目にもらった指示を言葉通りに守ことを優先するあまりに、あとで考えると何であのときこうしなかったのだろう?ということがたくさんある。また、自分のことについては、勝手にこれくらいでいいだろうと判断してうまく自分を出せなかったり。母の世話をしながら、姉妹とたくさん話し合っていると、人はそれぞれ違うんだなあと改めて感じるし、大人になるとそうそう変わらないんだなあと思う。それでも、今ここからできることをするしかないし、それぞれの考えを聞くことは大切だなあと思い、「老人性うつ」とか「認知症世界の歩き方」とか薦められる本を読んでます。介護は、される本人は初めてのことだらけで不安なんだろうし、する方も今のわたしたちは初めてのこと。なにがベストなのかわからないし、私たち姉妹3人とも母親べったりで溺愛しているわけではなく、実は非常にドライな部分もあるわけなんですが、母が今できることをなるべく長くできるまま、できなくなってきたことは助けようというスタンスでやっています。
ワクチン接種してきました。これは4回目です。もう少し待つとBA4,5の接種が始まるそうですが、3回目からかなり間があいているし、BA1オミクロン対応だし、接種券がきたので、すぐに近所の病院に申し込みました。
3回ともモデルナで、2、3回目は副反応で1にちずつ寝込みましたが、ファイザーだし仕事があればのりきれるかも。
ということで、20日オンライン仕事の合間に接種完了。けっこうすぐに腕が痛くて上がらなくなりました。オンラインプログラムが終わり実家に行き、ケアマネさん訪問対応のころまでは、腕の痛みのみでしたが、夕食準備をするころから熱っぽい感じになり、夜就寝時には、関節痛と発熱。ファイザーでもだめか、と思いながら就寝。
21日はリアル授業のある仕事だったので、朝5時起きで実家ルーティンをすませて出勤。電車では爆睡。授業が終わったらすぐに帰ろう、とおもいつつ、仕事がはじまると体は動くし忘れる。食欲はなくちょっとお腹にきていたので持参のお弁当に手はつけず。14時半まで子どもの作品を評価など仕事して、ウォーキングはやめて帰宅し、アイスクリームを食べながらソラユミアワーの録画を見ていたら少し食欲が出たので、持ち帰ったお弁当を食べてベッドへ。
今朝起きたらすでに9時!!爆睡していました。腕の痛みはほとんどおさまり体調も普通に。改めて思ったことは、こうやって30年以上のりきっていたんだなあということ。そして、認知症界隈や歳をとることについての本を読むと、自分の老後のこと(老後っていつからなんだ?とも思うが)を考えるし、今思い立ったことはしておこう、会いたい人にはあっておこう、そのためのワクチン接種でもありました。昨晩録画を見ようとテレビのスイッチをいれたら、都知事が感染者数が微増してきているから、第8波をなんとかおさえたい、と話していた。友人たちの旅行の話が聞かれるようになって、自分も1つ遠出の計画をしているけれど、どうかウィルスとも折り合いをつけながら自由に旅に出られて、友達と大声で笑いながら飲み食べできるようになってほしいと祈るばかりです。
※画像は、湯布院のジャズとようかんというお店のジャズ羊羹。コーヒーマットは、わたしが初めて西表に行ったときに両親にお土産に買ってきたマングローブ染のもの。カップは有田焼源右衛門(いつかもらいたいとねらっている)。菓子皿は妹が昔陶芸教室で作ったもの。過日の母をデイサービスに送り出した後の一人ティータイムでした。
♪9月には〜帰らない〜 と歌っているのはユーミン。灯台も昔から大好き。潮風でやられないように塗り固めたペンキの厚い感じとかデザインとか。子供のころから魅力を感じていました。天気もいいし車で灯台を見に行きたい!と思いつつちょっと今日はだめかなーと9月を振り返ってみることにしました。
実家と自宅の行き来37回
作った夕食メニューをひろってみる。ご飯・味噌汁と残り物リピートは省略
○鶏胸肉のチーズロール・ゴーヤの佃煮
○残り物野菜入りオムレツ・トリパテ・しめ鯖さっぱりきゅうり添え・ピリ辛茹でもやし
○牛こまとピーマンの和洋折衷炒め・鳥ときゅうりのサラダ風・枝豆・冷奴
○しゃけ甘酢野菜のせ・ししとうと線キャベツ・ミニトマトとモッツァレラのサラダ・枝豆
○なす挽肉味噌炒め・切り干し大根煮物(妹作)・ひたし豆(妹作)・きゅうりわかめとタコの酢の物・糠漬け
○カツオのたたき・豚紅茶煮・きゅうり大根ワカメ酢の物・押し麦サラダ(妹作)
○豚挽き肉とニンニクの芽とセロリの炒め物・冷奴・冷やしトマト・ゆでらっかせい・野菜スープ
○茹で豚マスタード添え・豆腐サラダ・ワカメと玉ねぎと茗荷の酢の物・ゆでらっかせい・カブのスープ(妹作)
○名前失念(めずらしい海藻・王子サーモンで購入)と揚げの煮浸し・鳥手羽元のさっぱり煮にんじん玉ねぎ添え・生キクラゲ豚炒め(妹作)・牛蒡の煮物(妹作)
○カレーうどん
○キャベツと豚の炒め物(妹作)・牛蒡の肉巻き(妹作)・茹でもやし酢醤油・ザーサイ豆腐サラダ
○餃子(手作り)・ニラと卵のスープ・にんじんと鮭骨のサラダ・小松菜おひたし・茹でもやし辛子醤油
○ワンタン(餃子の餡ののこりで作った)
○厚揚げの肉巻き焼き・万願寺とうがらし甘辛揚げ浸し・きゅうりと玉ねぎとセロリのサラダ・ラムチョップ・ナマキクラゲピリ辛ご飯
以上。写真を見て書き出したので撮影を忘れた日のものは記述なし。品数が多い日は、醤油皿くらいの小鉢を並べている感じです。自宅に戻って一人でとる夕食は、冷蔵庫に食材がほとんどないことを口実に、買ったお惣菜やコンビニ、ジャンキーなもので代用、になっています。
そして、9月に始めたこと。風呂場トレーニング。退職して、毎月2諭吉かけていた美容室代を節約、自宅で髪を染めることにして1年半がたちました。色持ちは悪いけれどケミカルな成分がほとんど入っていない染色剤を美容師さんに紹介してもらったり、いろいろ試してみたり、製品が販売中止になったり紆余曲折ありましたが、今はシャンプーの後でトリートメントのようにつけてしばらく放置するタイプのものを使っています(画像は最後に)。説明書によると5分放置して流すとのことですが、5分では色が定着しないので15分以上放置、できればもっと長い方が色づきはよいです。夏場は暑いので湯船につかっているのもちょっとなあ、ということで、狭い洗い場でもできるトレーニングを始めました。これがなかなか続いています。
退職して節約のために辞めたものに加圧トレーニングもあります。週1回か2週に1回、パーソナルでカイロプラクティックの調整の後にパドリングやスキーに生きるトレーニングを組み立てて加圧ベルトを巻いて効率的に追い込んでもらっていました。自分投資としては見合った体を手に入れていたので満足していましたが、生活のレベルダウンのためにさようなら。その後、太る、筋力低下、体はどんどん鈍っていました。そこで、少しでも運動をということで、通勤時に歩くことから復活させ、この9月、ついに自宅で自立トレーニングに至りました。フルで働いていたころは、時間も含めてなんでもお金で買っていて、自力でやるなんて無理と考えていたので、風呂場トレーニングは画期的なことです。
パーソナルトレーニングでやっていた動きからお風呂場のスペースでできるメニューを選び、あとは、最近Twitterで見かけるズボラストレッチから。ランジ、お尻歩き、V字バランスで座って手つま先タッチ→肘膝タッチ→両手斜め後床タッチのセット、V字のまま両足揃えて曲げ伸ばしで腹筋。ランジは、加圧だと15回1セットで2セットやっていたので、加圧ベルトなしなので30回1セットで、2セットやることにしました。大きな筋肉から鍛えろ、っていうところです。あとは、エアパドリングを時間調整で入れています。本当はお尻の筋肉からハム筋のトレーニングも入れたいのですが、これはお風呂場では無理なので、今後別の時間に取り入れたい。。。です。風呂場トレーニングは週に2回程度風呂場でやっています。髪染めがトリートメント状のものなので、トレーニングのためにいっちょ塗布するか、という気持ちになり、相乗効果ありです。そして、体は正直です。状況が許す限り、職場から地下鉄の分を全部JR駅まで小一時間歩くようにしているのですが、週に2、3回で、その他の日は1日中座りっぱなしのオンラインだと、歩き初めに関節や筋肉が軋むような感覚があったのですが、これが全くなくなり、筋肉痛にもならなくなりました。
夕食作りは、家族のためにやめるわけにはいかないので続きますが、トレーニングはいつまで続くでしょう。。。日帰りですがちょこちょこカヤックを一人で漕ぐために、ちょこちょこ近場の山を一人で歩くために、そしてスキーシーズン間近!!こちらも長い宿泊はなかなか難しいし、雪道運転未経験だし、どこに通うかなど試行錯誤のシーズンになると思いますが、この先の生活の一部であることは間違いないのでそのために。
*冒頭の画像は、渋谷時代、出張帰りによく立ち寄っていた珈琲やさん。カボチャのプリンとスマトラマンデリン。贅沢な時間でした。出てきたカップが自分としては自分らしくない感じがしたけれど、他人の目にはこう映っているのかな。
現在使用中の白髪染めトリートメント。普段使っているシャンプーの後で水を軽く切り、これを塗布するだけ。これを使用する日は他のコンディショナーは使っていません。ネットでも宣伝されている初回は○○円でその後サブスクリプションの宣伝サイトから申し込み。現在で2ヶ月に1本購入。2500円くらい。在庫余剰気味。
備忘録に書いておかないと、つい2、3日前のことなのに、何していたっけ?いつだっけ?という状態になる。だから、ブログを書こうとしているのだが、物理的に時間が足りない。もっとハードな毎日を送っていたことを思うともっとできそうだが、体が変わってしまったのかもしれない。
また寝落ちする生活に。
オンラインスクール、今週新学期で新プログラム。担当2つとも手応えあり。開発も面白い。
リアルスクール、子どものパワーと人懐っこさに癒されているのかもしれない。書写の時間をこんなに真剣に準備して目標振り返りまでしっかりやらせるのは初めてかもしれない。
1年半習い続けた折形教室、最終回。寂しい。最近贈り物のお包みはほぼ折形で行っている。好きな世界です。画像は粉包みのバリエーション。よろず粉包、胡椒包、山椒包、唐辛子包、折形研究所の山口氏のオリジナル粉包。
備忘録。つけないと忘れる。
実家→職場→本屋→研究(事前研)→反省会→自宅
最近、夜出歩くことがほとんどなくなっていた。あるとすればアルバイトの帰りくらいだ。そして、授業をする子どもたちと、家族以外との会話も同じ。今日は、タイミングがあったので、対面の研究会へ。後輩だが、とうに見上げるところで力量を発揮している仲間二人と話しながら、役に立っていないなあと感じる。
あれ?これって母がしょっちゅうつぶやいているネガティブ発言と同じだ。同じ血が流れているといえばそれまでだけど、まだ間に合うかも。
細く続けている国語教育の仕事への刺激ももらえるし、まだまだ勉強したいという刺激もらえる。自分としての参加モチベーションはそれでもいいと思うことにする。もちろん、なにがしかの恩返しができればさらにいい。
21時まで毎日のように働いていた日はなんだったんだろうとも思う。2時間の授業の後、5時間も働いてしまったし資料を一つ購入。結局好きだということです。
PCからだと写真をアップできません。・
きょうも、あっという間に1日が終わりました。
金曜日、初めて実家から出勤してみました。6時半前には電車に乗ったのですが、すぐ近所の公園の鉄棒で年配の女性が、かかとトントンをやっていました。両手で鉄棒をつかまり、背伸びをしてかかとをトンと落とす運動です。
毎日一人ででかけていた買い物も、今はヘルパーさんがこない日はわたしたちが同行できるときしかいかなくなってしまいました。行きつけのスーパーの支払いが機械になっておぼつかないところもあるし、何を買ってよいかわからなくなっているようだったので、7月の途中から買い物同行サービスを利用し始めたのですが、ヘルパーさんをつけたから、一人ではいかれなくなってしまったのかもしれないなあ、とか、よかレト思ってやったことが母のできることを奪っていっているのではないかとか、考える日々でもあります。
そんなわけで、わたしもですが、母も運動不足です。今日はデイサービスのお迎えを待つ間、金曜の朝運動する方をみかけた公園の同じ鉄棒で、母とかかとトントンをやってみました。毎日50回やるとよいそうなので、とりあえず50回。声を出して数えながらやっていると、37からや母も声を出して一緒に数えていました。なんだか嬉しかったです。
母を送り出して、私は自宅の地域の図書館に用があったので自宅方面に向かい、お昼を食べて買い物をして、あとは自宅の家事。なんてことない片付けを2、3やっただけであっという間に夕方でした。こんな簡単で頭を使わない仕事なのに。。。ともやもやしていたら、主婦歴の長井人から、家事なんてそんなもんだ、と。そうなんですねえ。
実家に戻り、夕食の準備をしながら、盛り付けやテーブルセッティングは母にお願いしました。
かこさとし展終わってしまいました。地方でもやるといいです。画像と本文は関係ありません。。。漕ぎたかったな。
子どもたちは昨日から。わたしは今日から。
実家からの通勤は長い。しかし、今までで一番通勤の時間が長かった職場の時と時間的には5分ぐらいしか違わない。距離は20キロも違うのに。乗り換えたり歩いたりする距離が短いからでしょう。運動不足だから座れなくてもいい、と思っていたら最初からずっと座れました。電車の時間が長いから読書がはかどるとポジティブに考えていたら、ずっとラインをしていてそのうちうとうとして本を全く読めませんでした。そんな途中で足を止めたのがこの花です。調べたらムラサキゴテンというそうです。ツユクサの仲間。初めて見ました。
子どもと過ごす時間はほんとうにエネルギーに満ちています。一歩教室に入ると、わらわらと寄ってくる1年生。距離を保ちつついろいろしゃべりかけてくる3年生。どちらも、夏休みの報告と授業開始のウォーミングアップの1時間になりました。
そんな初日。教員の働き方改革が叫ばれてだいぶたつけれど、2クラス分の今日の学習を見て、夏休みの宿題を見てコメント書いていたら今日の時給は3〜400円になってしまいました。こういう人がいるから変わらないんだよという声が聞こえてきますが。
8月31日。家族の世話の間に短時間で海に行こうと行動できるようになったのは車の存在が大きい。そして、家族の住む家からだと自宅からよりかなり海に近い。近隣地域のカヤッカーに教えていただいた無料駐車場のある海岸に早朝向かう予定だった。
こういう日に限って家族の状態が思わしくない。詳細は省くけれど、もうダメだな、午後に向かって風も上がってくる予報だし、と漕ぐことは諦めたが、母をドライブに誘ってみた。
40分ほどで予定のポイントに到着。駐車場で本日までではありますが、と、ビラをもらった。
8月31日まで午後8時に閉門、とあった。次に来る時は、暗いうちに出発して場所取りらできるということだ。
組み立て場所もある。広いトイレもある。ビーチまでのアクセスも良い。
台風の影響で大きくなってきていたうねりを狙ってかサーファーも多い。彼らも撤収の時間だったが、みていて気づいたこと。フネや体の潮を流すために自由に使える水道はないから、手持ちの飲料用より大きな水タンクが必要だ。
きょうは、そろそろ新学期なので自宅で仕事をしたり家事をしたり。
夜、白桃のロールケーキを持って妹夫婦が来ている実家へ。これでお一人様ロールケーキ一本食いを免れることができました。
合間に思うのは海のこと。島暮らしとコロナ禍でブランクがあり不調だったパドリングでしたが、短時間でも漕ぐ頻度があがってくると、パドリングの気持ちよさが戻ってきました。画像はマイカヤックhare号との最初の一枚。12年前なんだなあとしみじみ。ということは自分と同じ寅年なのだ!なんとなく嬉しくなった瞬間でした。
9月からオンラインスクールの契約が変わります。平日の高速時間が少し短くなるので、平日ちょい漕ぎもできるかもしれません。風を考えると午前中がよいのですが、さすがに10時半に身なりを整えてオンラインで仕事を開始するのは難しそうです。そうなるとリジット艇が便利に思えるこの頃です。
母を美容院に送り、いつもお世話になっていますとご挨拶をして電話番号を渡した。今日は妹と交代するので、実家の客様シーツや枕カバー、パジャマを洗濯する予定だったが、目が覚めた5時過ぎにはもう洗濯機が回っていた。なので、出かける前に2度目の洗濯を回してきた。一旦戻り、洗濯が終わるまで昼食の準備をして、水分補給の指示などメモを書いていると母が帰宅。昼食と外に干してある洗濯物のことを伝えて自宅へ。夏休み中、かなり長い時間母と過ごしてみて、何か一緒にすることがある方がうまくいくのだと思った。散歩、料理、買い物、なんでもいい。ただし、もっと以前刺し子を提案してやってみたりしたけれど、物づくりなどは興味が持てない様子。ものが増えたり残るのが嫌なんだという。そんなわけで、実家より片付いていない自宅を片付ける時間がなくなっているので、自宅に泊で連れてくることも考えている。なるべく身軽にきてもらうために、私たち姉妹の分が実家にあるように、母のパジャマとか下着とか着替えとかを量販店で調達。体が小さいのでいわゆる年配者向けの品物はサイズがないことが多い。4Lとかはあるのに、S(でも大きいのだが)はないことが多い。そこで、最近利用するのが子ども服コーナー。Tシャツとかパンツとか、最近の子ども服はデザインが大人っぽいから150センチなんかはぴったり。同じ考えの人が多いからか、150とか160サイズは売り切れてしまうが早いように感じる。
その後、マンゴーのモンブランとコーヒー✖️オレンジのスムージーで一休み。美味しかったー。
帰宅して、置き配されていた(何日も放置されていたが無事なのがすごい)アマゾンの買い物を回収して、原稿書きをしたり、片付けたり、してたら、モンブランの万年筆のことを思い出した。島から戻ってきて荷ほどきしたら、なんと軸が割れてしまっていた。修理に出そうと思いつつ、通信簿の初見が手書きでなくなったので万年筆を使う機会も少なくなり放置していたもの。修理つながりで、電池を交換してもらおうと持ち歩いてすでに実家と自宅を何往復かしているBabyGの存在を思い出した。今日も時計やさんに寄るのを忘れてしまった。
それも口実に、夕方涼しくなってから、小走りウォーキングに出かけた。ボランティアで行くことのある場所は歩いて行くのに良い距離にあるのだが、道が入り組んでいていつも無駄な大回りをしないと辿り着けないでいた。そこで、BabyGを持ち、ボランティア場所への道順を確かめながら出発。道は周辺を歩き回ってよく分かった。BabyGは防水なので預けて帰ってくることになると思っていたら、予想外の1時間後に取りに来てくださいとのこと。で、仕方なくバーガーキングへ。カフェに行くにはあまりにもひどい格好で汗だくだったのです。なので今日の夕飯はジュニアワッパーセットになりました。
帰り道、久しぶりに腕時計をした。実はメインで使っている腕時計も現在メンテナンス中。こちらは最近止まって電池交換出したもので1ヶ月くらいかかる。腕時計は暑いと感じた。そして、スマートフォンが時計の役割もしているので腕時計をしていなくてもあまり不便は感じないのだと思った。
そんな1日。
本日も実家。通院付き添い買い物。
前回の居酒屋8で好評だった鶏のパテを作る。母にササミの筋取りと細切りをしてもらう。あとは混ぜてこねて整形してチンするだけ。荒熱がとれたら冷蔵庫に3時間ほど寝かせ、その後冷凍すれば1ヶ月ほどは大丈夫。
その後、甥にもらったシンガポールの紅茶をアイスティにしてお茶。あとは夕食の支度だけど少し早い。実家滞在時間が長時間になればなるほど、ちょっと離れて自由にする時間が大切だということを身に染みてわかっているので、17時には戻るといって歩きに出る。
時計を見ると16時25分。近くの神社脇の坂道を登りきったところで時計を見ると5分しかたっていない。少し先にいい公園があるけれどちょっと時間的に行かれそうもない。そこでその周辺をぐるっと歩いて神社の表参道の急坂を降りてみる。行きに登り始めた地点まで戻る頃には滝の汗。でもまだ10分ある。ということで、迷わずもう一度階段まじりの細い坂道を早足で登りきってそのまま同じコースを降りてきて戻った。35分。5000歩ほどだったけれど、いい汗でした。このコース走ったら体力低下防止に役立ちそうです。
すきま時間の活用も体を動かすのも大切。日々の泡再開したので、歩きながら写真を撮ればよかったのですが失念。だから、昼食の画像です。麺は隠れていますが、まるちゃんの冷やしラーメン、好みの細麺でつるつるしていて、冷やし中華より気に入りました。実家で食事を作るようになって作ったときは毎回撮っています。ひとりで作って食べていたときよりずっと充実しているのはもちろんです。
夏休みのある1日。インスパ横浜に元同僚と行ってみた。天然温泉。屋上からの眺望よし。サウナ 水風呂 外気浴を2セットやってみた。今までにない感覚呼吸がすごく深くなる感じがした。これがトトノウというやつなのか。
オンラインスクールから走るようにアルバイトへ。帰宅して夕食を作る予定だった。すると嬉しいことに母が、ご飯をたくだけでなく、切り身の鯛を焼いてくれていた。付け合わせは作り置きのお浸しで、インスタント味噌汁も用意していた。嬉しかった。気遣いの人だったのに機転がきかなくなり、道具の収納場所が思い出せなくなっているけれど、回路がつながっている日もあるようです。
私は副菜を作って夕食。夏休みシフトは今日まで。明日からはオンラインスクールからアルバイトへ駆け出すことはもうなくなります。日々変化する状況に対応して、働く時間が短い代わりに9月からは移動時間が長くなる。本が読める。と前向きに捉えておこうと思う。
自宅デー。ほぼ毎日実家で認知機能の衰えた母と接していると、子育てをしなかった分の帳尻を合わせているのかもしれないと思うことがある。そして、長きにわたり仕事最優先で忙しい日々を過ごしながら余白の時間は精力的に遊んでいられたのは、体力と自由になる資金があるからだと思っていたけれど、大前提として仕事意外の時間は全て自分の時間だったという条件がそろっていたからなのだ。
デイサービスなど介護保険のお世話になれるのはとてもありがたい。少し前に上野千鶴子氏の「在宅孤独死のすすめ」を読んだ。介護サービスを保険という形にしたことで、罪の意識なく大手を振って家族の世話を他人に任せることができるようになった、と書かれていた。その通りだと思う。おそらく介護についてはそのうち、まとめて書く日がくるはずなので、今日は深入りしないでおくが、介護を通して親の人格を初めて一人の人間として見るようになった気がする。教員として様々な個性をもつ子供に接してきたノウハウが介護にも使えるのだが、家族と他人は違うということも痛感するし、自分の嫌なところもたくさん見えてしまう。
母には今できることをなるべく長く続けられる状態で、穏やかに幸せな気持ちで過ごしてほしいと心から思う。
思ってはいるんです。ええ。母が処方された漢方薬の効能を読んでみると「疳の虫」という文字が。これ、私が飲んだ方がいいのかもしれない。夜実家へ。
先日カヤックを漕いだとき、もう真夏の雲ではなくなっていることに気がつきました。そういえば、暗くなると心なしか風が涼しくなってきています。
4月から、大学附属学校で非常勤講師として週10時間授業をもち、不登校児童生徒向けのオンラインスクールで週2日担任業務をしながら国語のプログラムを担当し、週に一コマだけ個別指導塾で教えています。ウィークデイは毎日短い時間でもなんらかの仕事をしています。フルで働いていた頃と比べて開いた時間は、最近は実家似通い家族の世話をすることが多くなりました。
今日は、9月からの自分の生活について考えてみました。実家に宿泊しながら職場に出勤する形になりそうです。オンラインの仕事は自宅を職場だと思って出勤しようと考えています。
妹たちと家族の世話を分担するために、今まで手帳でアナログ管理していたスケジュールをデジタルに変えて必要な部分は共有しています。学校で働いていた時は、とりあえず出勤すれば、仕事をすっぽかすことは起こりません。早めに出勤して週案を見ればなんとかなっていました。3つの仕事と1つのボランティアと実家通いが絡み合ったスケジュール管理は、スマホでも確認できるのでデジタル管理が楽です。確認しやすいし、すぐに入力できます。
ところが、です。9月からの自分の動きを考えるために、どれくらい連続で、あるいはどれくらいの頻度で実家に行っていたのかな?と振り返ろうとしましたが、毎日同じような生活をしているせいもあって、あれ?一昨日は泊まったんだっけ?夜帰宅したんだっけ?などと記憶が曖昧になっているのです。スケジュールはほぼ全部入力して持ち歩くことに成功していますが、目の前のミッションに追われて流れていってしまう時間に焦りを感じました。合間を縫って、カヤックを漕いだり、映画を見たりしていますが、記録しておかないと、消耗している感覚だけが残っていくような気がします。
そこで、日々の泡復活です。教員時代、日々の泡という題をつけたノートにその日の出来事をメモっていました。仕事をやめたことで、教育についても学校についても自由に発言できると感じています。それもあるので日々シャンパン。泡となって消えていくことを書き留めておかなきゃです。
急に気温が下がり風が冷たくなった昨日、ちょっと長めの散歩がてら国道16号ぞいにある浜マーケットに初めて行ってきました。雰囲気は沖縄のマキシ公設市場風。ドジは一本だけで国道と旧道を結ぶ間だけだからとても小さいけれど、私的にはとっても気に入りました。そして野菜、肉が安い!肉屋さんでカレーパンとナスの挟み揚げを買って、八百屋さんで、野菜各種。全部で千円でお釣りが来ました。そして、ネリ!青ヶ島で育てている方がいていただいて食べたオクラ。星形にかくばっておらず毛羽立ちが少なくてつるっと丸い感じで大型のオクラです。味が濃くてシンプルに茹でてマヨネーズつけて食べるのが最高だったのですが、なんとこのようなオクラが売ってました。さすがにネリとは書いてなかったけれど、懐かしくて手に取り夕食で食べました。最初はずいぶん大きいのねとこわごわだった母も、美味しいと箸が進んでいました。両親がこの地に移り住んでもう20年以上ですが、浜マーケットはいつも車から眺めるだけでしたが、散歩と買い物にまた行くことにします。歩くのは苦じゃないから、と言い続けていた母ですが、最近は、歩こうと誘うと、ちょっと億劫がる様子があるので誘いにくいです。母が時々歩いていたコースよりちょっと先だったのですが、浜マーケットに行ってみたいといって歩かせてしまいました。母も初めて中に入ったそうです。そして、いつだか火事があったことをずっと話していました。中は古いお店もあったので火事で焼けなかったところもあるのだと思います。こういうお店がどんどん姿を消してどの駅で下りても知っているようなお店が立ち並んでいるのは味気ないので、いつまでも残って欲しいと思います。
散歩の後は担当のケアマネージャーさんとの定例の面談でしたが、ケアマネさんも浜マーケットのことをよくご存知で、私たちが買い物をしたほうじゃないもう一つの八百屋さんがすごく新鮮で安くていい、と教えてくれました。もちろんそのお店も冷やかしたのですが確かに安かった。A4くらいの大きさで深さ10センチくらいのパックに入ったミニトマトが500円だったから。。。ちょっと量が多すぎてやめてしまったのですが、今度は妹たちと分けるなど工夫して買ってみようと思います。そして、お肉やさんのハンバーグが絶品だそうです。キャベツやにんじんが添えられて大きなハンバーグが1個入ったオパックがたくさん並んでいたので人気商品なんだと思います。これも次回買ってみようと思います。実家j通いの楽しみが増えました。
調べてみたら火事は2007年のことでした。その後復興に地域ぐるみで努力されているようです。近くに大型のショッピングセンターもあるのですが地元の人に愛されているようです。そして、戦後の闇市が発祥で、古くは美空ひばりさんのお父様がやっていた魚屋さんはここにあったとか。
(写真は横浜で暮らそうHPより)
10月7日
我が家に妹夫婦がやってきて、仮眠。ラテ号(車)で初めての本格的遠出だが、義弟と妹が運転できるので山道アンド高速教習付き山歩き。朝食としてナポレオンサンド風ホットサンド、昼食用に新米でおにぎりを6個、ゆでたまご、ひめきゅうりのタタキを作った。睡眠時間が1時間になってしまったが、午前2時45分出発。
10月8日
6時半ごろ扇沢着。8月に剱岳(悪天候により剱山荘までで退散)に行ったときはがらがらだった無料駐車場は満車、かと思いきやラッキーなことにでかい車が諦めた狭めの1台分を確保して駐車できた。靴を履き替え、いざターミナルへ。
アルペンルートは事前にWEB予約しておいて正解。窓内は長蛇の列。アルペンルート9470円也。7時30分のトロリーバスに乗車して9時すぎに室堂着。室堂で水をくむ。
天狗鼻から獅子が鼻を軽油して弥陀ヶ原へ下るコースを歩き帰りはバスで室堂に戻り雷鳥荘へ。
夜は、雷鳥荘で働く友人と一杯。翌日のコースについてアドバイスをもらった。私たちは雄山だけで降りてくるか、真砂岳手前の大走りを降りてくるコースを考えていたが、別山乗越から新室堂乗越まで行って降りてくるコースでの立山縦走を勧められ、みんなの体調などを見ながら途中で降りてくることも考えつつ一応縦走を目指すことにする。
10月9日
雄山の登りでかなりヘロヘロになったのは自分だった。妹たちは、もうここで降りようと考えていたそう。雄山神社にお参りして、大汝山へ。ここでおにぎを食べたらかなり元気回復。実は、朝ほとんどお腹が空いていなかったのでごはんをほんの一握りしか食べてなかった。出発前の睡眠不足と(最近は眠らなかった翌日ではなく翌々日に疲れが出るようになって。。。)パワーチャージ不足がダメだった模様。大汝山からは黒部湖がきれいに見えた。そんなわけで、大丈夫だから、と縦走を決めて歩き始めた。富士の折立は、天辺まで登らず。(次回にとっておきます)そして、別山山頂はスルーして御前小舎まで。ここで残っていたおにぎりを食べて、新室堂乗越経由で雷鳥沢へ。そして最後の登りをがんばり雷鳥荘へ。ヘロヘロ。
10月10日
なるべく早めに帰りたい事情があったけれど、3、40分で歩ける道が一つある、と友人に言われ、雷鳥沢から沢を渡り真砂岳方面へ。一ノ越へと繋がるルートを室堂立山山荘方面へ向かって室堂ターミナルへ。「神の道」と呼ぶそうであるが、この辺りの高度だとチングルマの綿毛と葉の赤がまだ鮮やかで逆光の立山連峰シルエットを眺めながらほんとうに名前の通りの気持ちのよいトレイルだった。
今回の目的の一つは長距離、高速運転だったので、扇沢から双葉まで運転。エンジンブレーキの使い方に慣れた。高速は最初はすぐに減速してしまったり、車線変更に課題ありだったりしたが、徐々に慣れ次への意欲が湧いてきている。
中央道で玉突き事故があった影響で渋滞したが、渋滞区間は妹が運転し、解消されたあとは義弟が運転して帰宅。充実の3日間だった。M本さんSHさんありがとう!
今回、妹たちが忙しかったこともあり、わたしが計画を立て歩くことになった。雪山やカヤックでも同じだが、やはり主体的に計画を立てると情報が頭に入るし、達成感もある。経験者と行動していると安心感もあるが、やはりこういう緊張感は心地よい達成感をつれてくる。
母の介護申請が通り認定された。地域の包括センターで紹介していただいたケアマネージャーさんに、母の要望を伝えながらデイサービスの事業所をいくつかピックアップ。自分でも実家近所の事業所を挙げて、母とともに4箇所見学に行った。
百聞は一見に如かず、抱いていたイメージとは違って明るい笑い声が響く空間で、活動の目的こそ違うけれど、学童保育や児童館、放課後スクールに保育園っぽい面を加えた運営がされているように感じた。見学をしながら、利用者の方の様子とか、コミュニケーション、職員の方の関わり方などけっこうシビアに見定めてしまう自分がいたけれど、全部見終わったあとで母と話をしたところだいたい同じようなところが気に入ったようだったので、本人の意向でお世話になるところを決めた。
母は、自分の認知機能が衰えていくことを日々自覚しているようで、自信をなくし、自尊感情が下がっている。感情はずっとかわらず残っていると認知症関連のどの本にも書かれている。だからm、子供扱いはしないし、記憶が混乱しているだけで、判断する力はまだ残っているようだ。ただ自信がないから、不安で前に進めない。接し方や励まし方は前職でやっていたことと非常によく似ていると思う。やれることはやらせる。そのかわり待つ。迷っているときは前に進めるように声をかける。このあたりはうまくできるが、イラッとしない、またイラッとしてもそれを表に出さない、というのが家族だと難しいと感じる。まだこれから、です。
退職したのは絶妙のタイミングだったようだ。仕事をしながら介護をしている方はたくさんいるけれど、あのまま仕事をしていたらけっこう大変で自分にはうまくできなかっただろうな、と思う。
自分自身の今後のこととしては、少しは稼がなきゃという思いとは別に、何か社会の役に立てることをしたいと思っている。そんな動きの中でちゃんと自分の業績を生かすことのできる道が開けるような感覚があり、やはりこれが自分にとっていいタイミングだったのだと改めて感じるこの頃。自分を卑下しすぎることなくアピールすることを学んだのも、一人一人の相手としっかりコミュニケーションをとることができるのも、みんなこれまで教員としての経験があったからなんです。そして、島でたった二人の教子と3年間濃密な教育活動を行いながら過ごしたことが自分の仕事のまとめであったのだと今はっきりとわかります。
今後、もう少し前に進むために、勉強もしなきゃなあ。そして、何より運動力激減なのははっきりしているので、この秋始めた朝ランを続けます。緊急事態宣言も開けるので、居酒屋8も。走って、漕いで、歩いて、作って、学んで、旅して、飲んで食べて語り合って。自由だなあ。